僕の音楽史(96)
前回書いた様に、ライト・ミュージック・ソサイェティでの拘束時間はレギュラー・メンバーにならなかった関係で、週2回のジュニア・バンドの練習に参加のみ(それでさえ結構サボったりしていましたが......。)になったので、結構暇になりました。僕の音楽脳の中ではライトの活動は全く重要でなくなっていました。まー、辞めても良かったのですが(笑)、ジャズ研に転部する勇気も実力もなかったですし、環境を変えるには結構なストレスを感じるでしょうし、ライトに在籍し続けることは少なくても苦痛ではなかったので、とりあえず幽霊部員でいる方が都合が良かったと考えました。ただ、もう一つ辞めなかった理由の一つに後輩のギタリストが入ってきたこともありました。
彼は「菊池くん」と言って、僕と同じくロック出身のギター弾きで、入部してきたときはジャズなんて全く弾けない状態でした。それでも、ギターや音楽に対してすごく研究熱心で、僕より色々なことを知っていましたし、自分と同じ状況の僕にずいぶん親近感を抱いてくれた様でした。彼と情報交換するのは楽しかったですし、ジャズに関して共通の悩みを感じていた様なので、「お互い切磋琢磨して上手くなりたい」と言う気持ちが生まれ、それがモチベーションになっていたことも事実です。なんかそんな中で「ライトを止めるのも無責任かな?」という気持ちが働いたのも事実です。彼とは卒業後数回会ったきりですが、未だバンド活動を行なっている様で嬉しいですね。
あるとき、「そういえば新保は今何やってんだろう?」と久しぶりに親友のことを思い出しました。このブログにも何度も書いてきた、音楽好きの新潟の中高生時代に一緒につるんでた友人のことです。彼は新潟で浪人生活を送っていたこともあって、昨年1年間は遠慮して全く連絡しないでいました。
「さすがに2浪はしていないだろう?!どこかの大学に収まったかな?」
共通の友人に連絡を取ってみると、なんと今年から「中央大学法学部」に進学しているとのこと。
「なんだよ、東京に来ているのか!?」
無性に彼に会いたくなりました。彼の母親と僕の母親が仲が良かったこともあって、母親経由で彼の連絡先を聞いてもらい、1年ぶりに彼に連絡を取ってみることにしました。

※上の写真は僕の在籍時のライトのものではありません。