僕の音楽史(250)
武田、多田、丸谷のギタートリオで活動するようになり、東京で数回のギグの後、8月に新潟プチツアー(2か所でライブとジャムセッション)を行いました。それに向けてのリハーサルを通じてトリオ演奏もかっちりとまとまってきました。新潟ツアーの様子は(企画段階からライブ当日まで)別タイトル(2019年8月新潟ライブ紀行)で詳しく書いていますので、ご覧になってみてください。
新潟から帰った後もその勢いに乗って、人生のうち一番精力的な活動を続けていたと思います。多田さんとのデュオ、武田、多田、丸谷のギタートリオ、そして、武田、阿部、座小田、丸谷のカルテットと月に2本~3本のペースで行っていましたし、ライブの回数が増え、必然的に楽器に触る機会も増えていたので、テクニック的にも安定していたのだと思います。お店もカフェコハナ(錦糸町)Giee(国分寺)フォンタナ(武蔵境)unten45(四谷三丁目)ココパーム(西荻窪)などいろいろな店に顔を出していました。
写真でご覧のとおり、この頃からライブでアコースティックを積極的に導入するようにしてました。理由は2つあって、ひとつはお客さん、そして何よりも自分自身がバンドサウンドに飽きがこないように、もうひとつはマルチエフェクターを使って、ライブでも比較的まともな音を出せるようになってきたからです。僕はエレキでのバラード演奏は苦手ですし、自身の演奏が好きではありません。もちろん、僕自身のテクニックの問題なのですが....。一方、アコースティックでの演奏は大好きです。
僕の場合、お店へは車移動ではなく徒歩でしたし、ましてや会社帰りのことも多かったので、ギター2本を持っていくのは厳しいものがありました。ギターのみならず、時はアンプやエフェクターボードを持って行ったりもしていたのですw。こんな時は「前日に、お店近くの大型コインローカーに一部の楽器や機材をあらかじめ入れて置き、ライブ当日、残りを会社に持っていく」「朝早く起き、会社に2往復して分けて持っていく」ということをやっていました。我ながらご苦労様ですがw、そんなこともでしてまでも「演奏したい!!」「ライブやりたい!」という気持ちが強いものでした。たった数名のお客さんの時もありましたが、それでも全く苦にはならず、「バンドマンとはそういうもんだ!」くらいに感じていましたw。
次回から2020年になります。いよいよコロナ禍が始まります。


