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僕の音楽史(213)

【2014年2月】

 ギタリスト岡安芳明さんのレッスンをキャンセルしてから結局また1年近く過ぎ、年も変わり2014年となりました。再度岡安さんに連絡を取りレッスンの予約を入れました。

 今度はレッスンに伺うことはできましたが、前日のシステム・トラブルでの夜勤明けでとにかく眠かった記憶があります。

 岡安さんは10数年前に僕にレッスンしていたことをしっかり覚えてくれていました。レッスンに行かなくなってから今日までの音楽活動について聞かれましたが、「家でたまに弾いていただけ」と答えるしかありませんでした。

 レッスンは「バラードが苦手」と僕が話したことで、「マイ・ワン・アンド・オンリー・ラブ」を題材に「バラードでの歌い方」のレッスン受けました。レッスン内容はもちろん良かったのですが、一方で次の事を気づかされました。

 「僕はもう自分のギター・スタイルが確立されている。何言われても変わることが出来ない。いや、変わる必要なんてないんだ!もう教わることことなく自分でやっていこう。」

 そこで、継続してレッスンに通うことはやめ、昔の音楽仲間に連絡を取り、ライブ活動再開に向けて準備を始めることにしました。

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僕の音楽史(212)

【2013年4月】

「僕の音楽史」を再開します!前回書いた時代からなんと15年が経過しています。


「岡安芳明ジャズギターレッスンについて内容やレッスン料について教えていただきたくメールいたしました。10年以上前にはなりますが半年間ほど岡安さんの自宅でレッスンを受けていました....よろしくお願いします。」


 こんなメールを渋谷のギターショップ「ウォーキン」に送りました。何気なく雑誌で生徒募集の広告を見たからと思います。僕が活動をやめたのが1998年ですから、既に15年の月日が流れていました。この間に僕の記憶では2回ほど実家の新潟で行われていた新潟ジャズストリートにジャムセッション等で演奏する機会があったと思います。新潟高校の同窓会がたまたまその日であったこと、そして翌年新潟の叔父に誘われて彼のバンドのゲスト出演だったと思います。これ以外は人前では全く演奏していませんでした。

 何故こんなメールを急に思い立って送ったのか記憶は定かではありません。ただ、活動はやめていたものの、自宅でギターは弾いていましたし、たまにジャズを聴くようにはなっていましたので、少しづつ活動を再開しようかなと思ったのでしょう。(もちろん僕の中での音楽的な流れは1998年で止まっていて、その後CDは一枚も買っていませんでした)。また、仕事でも一生懸命やっていたことが評価されて、部長職になってある程度気持ちの余裕もできたのかもしれません。家庭生活でも家族が増え、長男はもう大学4年、そして次男が小学生になっていました。

 ほどなく岡安さんからメールが来て、5月にレッスンに行くことが決まりました。

 とても楽しみにしていて、レッスンまでリハビリで必死に練習していたのですが、なんとシステムトラブルで会社に出社する羽目になり、結局キャンセルさせてもらうことになりました。

 これが活動再開となるはずでしたが、もう少し先の事となってしまいました。

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僕の音楽史(211)

【1998年】

 なんと2カ月も書いていませんでした。今日で内容的に一区切りがつくので書いてしまいます。

 ギタリスト布川さんのレッスンを受け始め、バンド仲間を紹介してもらってからずっと10年程音楽活動を続けてきました。働きながら音楽活動をしている割には随分と華々しい活躍ができたように思います。日本各地、海外の演奏旅行、そして当時の関東での3大ジャズコンテストである浅草、吉祥寺、横浜ジャズプロムナードや日本ジャズ維新での最優秀賞獲得と就職活動中の学生に例えてみれば誇らしげに履歴書に書いてそれだけで内定が貰えるぐらいの内容にまでなりました。

 この年の終わり位から少しづつライブ活動が減ってきました。少しマンネリで疲れてきたのも理由の一つではありましたが、一番の理由は「仕事」でした。

 「2000年問題」ってのがこの頃から世の中を騒がせ始めていました。システム系の仕事をしている方は「そんなのがあったな!」と思い出す事でしょう。要は「日付を2桁で持っているシステムは99年と00年のデータの並び順が逆転し、不具合が起きる」というやつです。僕はシステム部でずっと働いていたので、この世の中の騒動に当然巻き込まれ、にわかに仕事の方が忙しくなってきました。もちろんそれだけなら忙しい合間を縫って活動を続けていったと思いますが、会社でめでたく昇進しました。小規模ではありますが担当の責任者を任されたりして、今まであまり関心がなかった「仕事」の方に気持ちがシフトし始めました。今まで「マネジメント」なんてやったこともありませんでしたが、急に「組織」や「人材育成」なんかを考えるにあたり、ビジネス本を読みまくったりして、いつのころからか頭の中に占める音楽の割合が急激に減っていきました。

 私生活でも長男が小学校3年くらいから剣道を始め、休みの日は試合の応援に行ったり、剣道会の役員をやったりと父親的な活動も増えてくるにあたり自然とリハーサルやライブの機会が減っていきました。

 特に「活動休止しよう」なんて決めたわけではありませんが、自然とライブはなくなりました。演奏後に次のブッキングをすることがなければ、自然と休眠状態になります。気持ちの上でも僕から音楽は出て行ってしまい、思い出すこともなくなりました。今まで出勤途中にいつも聴いていた音楽もいつのころからか「英会話」に代わっていましたし、自宅でも一切音楽を聴くことがなくなりました。ただ、ギターだけはたまに思い出して弾いていました。僕は「ジャズが好き」「ロックが好き」というより「ギターが好き」というタイプでしたから、いわゆる「練習」は全くしなくなりましたが「触る」ことはやめていませんでした。テレビを見ながらたまに数十分くらい弾き流す感じは続けていたと思います。そんな程度で満足してました。

 「2000年問題」は結局、特に大したトラブルも起きませんでした。世の中的にも大騒ぎしていた割には大きな出来事はなかったように記憶しています。その後、比較的仕事も余裕ができて、活動を始める時間は充分出来たと思いますが、相変わらず気持ちが音楽に向かず、なんと十数年も音楽活動から遠のくことになってしまいました。

 次回はずっと日付が10年ほど進んで、多分2007~8年?あたりから書くことにになると思います。まだ、記憶が整理できていないので、どの辺から書き始めるか悩んでおります。

 ではでは。

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僕の音楽史(210)

【1998年】

 1998年は今振り返ってみると一番充実した音楽生活を送っている感じのように思います。そして、僕のギター演奏もある意味ピークを迎えていたのかもしれません。未だ演奏を続けているのですから、本来は今がピークでなくてはいけないんですけどね(汗)。以前から書いているようにリーダー・バンドの2つ、オルガン・トリオとピアノ入りのカルテットのライブが定期的に入っていたので、毎月1〜2回のライブがありました。新宿Live Inn Pierを中心に精力的な活動をしていました。

 オルガン・トリオでのイベントや演奏旅行はなかったのですが、カルテットの方では8月のお盆明けくらいに「北九州ミュージックプロムナード98」に参加しました。これは以前コンテストで優勝した「横濱ジャズプロムナード」つながりで舞い込んできた話でした。当時の資料を見ると小倉の「ビアウェーブ室町館」ところでセカンドのステージのライブ1回だけの演奏だったと思います。前の年はデビッド・マシューズ率いる「マンハッタン・ジャズ・クインテット」が参加して盛り上がったようですが、僕らの年は大物の来日もなく、他のミュージシャンとの交流機会も全くなく、あまり面白くなかったように記憶しています。おまけに演奏の翌日は、かみさんが具合悪くなったとの連絡が来て、僕だけ慌てて帰ったりしたので、とても残念な演奏旅行でした。

 1998年当時の音源を2つ。何度も何度も手前味噌ですがw、僕自身のこの頃の音楽的な充実度が伺える演奏と思います。最初の音源はオルガン・トリオ(高野・武田・宇山)で高野さんのオリジナル・ブルースですね。タイトルがわからないので勝手につけましたW。すみません。宇山くんのドラムス、ハイハットの四つ踏みが気持ちよくって、抜群にスイングします。彼のドラムスのおかげで、王道のオルガン・トリオにとどまらず、新しい風を入れてる感じですか?!僕も結構好き放題やっていてノリノリな感じですね。高野さんも煽られてか?いつもよりアグレッシブです!



 もう一つはカルテット(武田・阿部・辻・西尾)でマルティーノの人気曲で「The Great Stream」。今聴くとテーマの解釈が現在と違っていて、違和感....まぁ、ファンの方でなければわからない話ですので、気にせず聴いて見てくださいw。こっちのバンドは普通のスタンダードやブルースはあまりやることなく、マルティーノやメセニーや当時のコンテンポラリー系の楽曲を演奏していました。



 ES-175NT(91年製)&ポリトーンは最強のサウンドでした。楽器は未だ所有していますが、アンプは手放してしまいました。少し後悔しています。

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武田バンド3

僕の音楽史(209)

【1998年】

 今回から1998年です。

 武田・高野・宇山のオルガントリオは月1ペースで新宿Live Inn Pierで変わらず演奏を続けていました。このバンドの良いところは集客にあまり困らなかったことです。高野さんは当時から音楽専門学校の教壇に立っていたこともあって、毎回弟子たちが先生の演奏を聴きに来てくれました。また、僕も会社で積極的に集客していたので、いつもはほぼ満席な感じでした。一方で継続的にやっていたもう一つのカルテット(武田・阿部・辻・西尾)は比較的マニアックで、コンテンポラリーな曲や演奏をメインにしていたため、集客に苦労しましたw。ただ僕の中のバランスはとても良い感じでした。オルガン・トリオでオーソドックスな演奏とジャズのノリや楽しさみたいなものを感じ、一方のカルテットでギタリストとしてのテクニックを磨く、こんな風に車の両輪のように捉えていて、一番充実した活動ができていたのかもしれません。高野さんつながりでは、もう一つ四谷のジャズバーで、営業時間中何セットかの生演奏の仕事をやったりしていました。

 ほとんどのライブは当時主流だったMDでほとんど生録しているので、まだまだ聴いてもらいたい演奏はたくさんあると思うのですが、整理していないのでまた別の機会にするとして、今回は以前からYoutubeにアップロードしていた動画を貼っておきます。



 演奏を聴いてわかるように、バンドとしての完成度は高いとは言えません。ライブその場で演奏するだけだし、リハもやらないわけですから。この曲、Sidewinderなんてその場で高野さんが譜面を脇にいきなり置いてやろうと言い出したのですから。僕はご存知のように譜面はほとんど読めませんのでw。多分客席にいた弟子達からのリクエストでしょう。でも、このときの自分の演奏を聴くといつも思います。「俺は歳をとったな」と。もちろん見かけだけの話ではなく、演奏そのものです。自分で言うのもなんですが、当時はキレや勢いがありました。今の方が、楽器トータルでは上手になったと思っていますが、このような演奏やノリ、雰囲気はもう2度と出せません。残念です。

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プロフィール

武田 謙治

Author:武田 謙治
1962年生まれ 新潟県出身
小4よりクラシックギターを始める。
中学~高校時代はロック、フュージョンに傾倒。
慶應義塾大学入学と同時に、慶應ライトミュージックソサェティに所属し、ジャズの演奏を始める。
卒業後は、働きながら音楽活動を継続し、ジャズギタリスト布川俊樹氏に師事し、各種コンテストにも参加。
【主な受賞歴】
浅草JAZZコンテスト グランプリ受賞
吉祥寺JAZZコンテスト グランプリ受賞
横浜JAZZプロムナード '94 コンペティショングランプリ受賞 横浜市民賞受賞
キングレコード「日本ジャズ維新塾」 グランプリ受賞 岡安芳明賞受賞
 
1990年代は精力的に活動をしていたが、2000年に入り、十数年の間活動休止。2014年夏より活動を再開。現在は、都内を中心に、「日本一ギターのうまいサラリーマン」を目標にライブ活動中。


【ギター教えます】
 僕は有名ミュージシャンではないですが、ずっと独学でやってきて「ジャズのアドリブが全くできない」とか「そこそこ弾けるようにはなったが、なんかジャズっぽくないなー」など、自分のギター・プレイに不満な方や伸び悩んでいる方の気持ちは一番わかっているつもりですし、そんな方達の手助けができるかなーと感じています。また、このブログで連載している「Pat Martino奏法研究」や「ジャズギター裏口入学」等について「もっと詳しく教えてほしい!」とか「一週間に一回ペースの小出しでなく、時間をかけてじっくり教えてほしい」みたいな人にも力になれるかな?と思ってます。

 東京都杉並区に住んでいますので、通える方は僕の自宅、遠方の方や通うのは大変という方に「Skype」で教えています。レッスン頻度は教わる皆様に合わせて決めています。

 興味のある方はメールやメッセージ、もしくはブログのコメント送信等どんなやり方でも良いのでご連絡くだされば詳細をお伝えいたします。

 それではお待ちしています!!

Mail : rymk.takeda@gmail.com

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