僕の音楽史(246)
更新しないでいるうちに随分と日にちが経ってしまいました💦。また話を続けていきます。

人気ピアニスト柳隼一君とデュオ活動をすることとなり、新潟にプチツアーをすることに決め、10月に実際にライブを行うまで、そして実際のライブがどのように行われたかのお話についてはて、以前このブログで全12回にわたって詳しく書いているので、そのコーナーを読んでいただければと思います。
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2018年10月新潟ライブ紀行
新潟から帰った後、柳君とは「一仕事終えた感」で、あまり目立った活動はしませんでした。もっとも、彼はこの当時からすでに超売れっ子のピアニストであったこともあって、僕レベルのミュージシャンがスケジュールをがっつり抑えることにも無理がありました。したがって、メインのバンド「武田・阿部・座小田・丸谷」の活動が自然と中心になっていきました。
一方、デュオやカルテットのほかにギター・トリオでの活動も再開したいと考えるようになりました。音楽活動再開を始めた2014~2015年あたりは「武田・矢野・公手」の3人で活動をしていましたが、せっかくだから違うメンバーとやりたいと考え、メンバーをどうしようかと考えていました。ドラムについては、この当時も今でも「丸谷茜(あかねちゃん)」しか考えられませんでしたのでw、彼女にカルテット同様にお願いするとして、ベーシストの候補が誰かいないかを彼女に相談してみました。ギター・トリオではスタンダード中心の比較的オーソドックス路線を狙いたい旨を彼女に話すと「心当たりの人がいる」っていうことなので、いったんは彼女の返事を待つことにしました。
動画を一つ貼っておきます。演奏は2019年3月、この日が柳君との最後のライブだったと思います。