僕の音楽史(231)
この年の始めころから僕のライブの活動拠点は3箇所になっていました。
まずは「OrganJazz倶楽部」でした。このお店は沼袋にあって、再活動の当初からずっと出演させてもらっていて、この時もまだ定期的に出演していました。Organトリオの時は必須でしたし、お店も綺麗で機材も素晴らしく、当時のマスターがとても楽しく、僕のような働きながらミュージシャンのような立場に理解があって、演奏もさることながら、アフターで話を聞くのがとても楽しみでした。ライブの録画サービスがあったので、Youtube映像がここでのライブが多いのはそんな理由です。
そして、拠点が2つ加わりました。セロニアスと中野ピグノウズです。
「セロニアス」は東中野のお店ですが、当時は同じ東中野ですが、今現在と違う場所にありました。ここは、著名なミュージシャンを多数出ているお店でした。ダメ元でママさんにメールを送ると快く出演させていただくことができました。移転する直前までは色々なメンバーと出演していて、大変お世話になったお店です。ママさん自身もジャズ・ボーカリストでしたし、彼女を通して著名ミュージシャンの話が色々聞けて楽しいものでした。
もう一つ、僕にとってすごく重要な拠点は、「中野ピグノウズ」というお店でした。ここはジャズのライブハウスというか、色々なジャンルやパフォーマーの方々が出演しているお店でした。スペースは狭かったですが、僕のような無名ミュージシャンでは、これでもお客さん満席にできないくらいでした(汗)。狭いながらもグランドピアノもしっかりあって、とても大好きな店でした。ママさんはバイオリニストですね。のちに紹介することになると思いますが、今後活動をともにする素晴らしいミュージシャン達も、皆ここで知り合いました。これまたなんかの機会にお話しますが、僕だけでなく次男坊までもお世話になることがあったりと、とても感謝しています。
僕の当時のことを知っている方ならピンとくるかも知れませんが、いずれの店も中野からすぐの場所です。この当時、僕の勤務地は中野だったので活動の拠点は「中野からすぐの店」ってのが必須でした。沼袋はバスで10分くらい、僕は20分くらい歩いて行ってましたし、セロニアスは東中野で隣の駅、ピグノウズは会社から歩いて3分くらいです。「仕事終わって駆けつけてもライブに十分間に合う、場合によってはリハもできる」というのが必須だったわけです。
下にそれぞれのお店での当時のライブ動画を貼っておきますので、ご覧になってください。
中野ピグノウズではレスポール・ジュニアでコーラスを深くかけたサウンドで、ヨッシーのライブで感銘を受け、エフェクター&ソリッド・ギター解禁の演奏ですw
OrganJazz倶楽部
武田謙治・阿部義徳・矢野伸行・柳沼佑育
On Green Dolphin Street
東中野セロニアス
武田謙治・阿部義徳・矢野伸行・公手徹太郎
Monday Blues
中野ピグノウズ
武田謙治・阿部義徳・矢野伸行・柳沼佑育
All Blues