僕の音楽史(6)
僕の音楽史の中で重要な位置を占めていた「ユーライア・ヒープ」の話、もう少し続けます。
●ユーライア・ヒープ来日公演を観る!
「対自核」でどっぷりはまったユーライア・ヒープですが、72年に立て続けに問題作(最高傑作?)2枚のアルバムをリリースします。それが下の写真「悪魔と魔法使い」「魔の競演」です。特に「悪魔と魔法使い」については、この後、ツェッペリン、パープル、イエスなどの超S級バンドにハマっていった後、そして現在改めて聴いても、全くひけをとらない本当に凄い作品です。それぞれのアルバムの代表曲を下にリンク貼っておきますが、全曲聴くことをお勧めします。


73年3月、満を持して彼らは来日します。当時兄が購読していた「ミュージック・ライフ」という雑誌で来日公演があることを知ったふたりは、「何とか観に行きたい!」と親を説得にかかります。そして、なんと親の承諾を得ました!
今思うと、本当に理解のある親だったのだなあと感謝しています。当時家族は新潟で暮らしていたのです。中学と小学校の僕らを東京に、そして当時は「ロック=不良」そんな風に思われていた時代です。僕も今親になって思うのですが、子供たちにこんなことを言われたら、絶対に許さないと思います。後で母から聞いた話ですが、新幹線もない時代で、コンサートは夜ですから、日帰りは当然無理です。したがって、学校を休まなくてはなりません。学校の先生に「ロックとは言っても、子供たちが一生懸命になっていることなので、ぜひ見せてあげたい。学校を休ませて欲しい」とわざわざお願いに行ってくれたとのことです。本当に素晴らしい父と母でした。この場で改めてお礼を言いたいです。本当にありがとうございました!
チケットは東京の大学に通っている親戚に発売当日にお願いして、一階右のS席を買ってもらいました。
今でも忘れませんが、来日公演は73年3月16日の日本武道館です。兄とふたりで、あらかじめ親に予約してもらった武道館近くの「九段会館」にコンサート当日、先にチェックイン。コンサートを見た後、ふたりだけで宿泊。そして、翌日、新潟から上京した父母と合流して、東京見物して帰る、そんなスケジュールでした。
コンサートの印象は、入場を待つ多くの若者の群衆が、新潟田舎育ちの小学校5年の僕には、とても恐怖に感じたこと、そして、演奏の細部は記憶にないのですが、「ギターやピアノのソロがレコードと随分違う。あれはアドリブ演奏だったんだ!」この2つのことをよく覚えています。
翌日、親と合流し、銀座の山野楽器に行き、レコードを見に行きました。初めて「輸入盤」というものが売っていることを知りました。ユーライア・ヒープのレコードを見ると、日本版とジャケットが違います。まだ、英語もろくに読めない時期ですので、日本盤と輸入盤の2枚を店員さんに持っていき「この2枚はジャケットが違いますが、中身は一緒ですか?」と聴きに行きました。店員さんが驚いて、脇にいた父母に「早熟なお子さんですね。きっと素晴らしい演奏家になりますよ」と感心されたという話を後で親から聞きました。すみません、ちょっと自慢話でした。でも、店員さんの予想は外れ、大した演奏家には成れずにおります。
その後、ユーライア・ヒープはライブアルバムやスタジオ・アルバムをリリースし、相変わらず、はまり続けていましたが、その後、同時期に来日した「イエス」を聴き、驚愕、その後、どんどんと聴くバンドが拡がっていきました。
【音源】
悪魔と魔法使い(アルバム全曲)
サンライズ(魔の競演)
マジシャンズ・バースデイ(魔の競演)