僕の音楽史(198)
- 2020/11/01
- 12:28
何とパット・マルティーノが来日するというニュースが飛び込んできました。
先に結論から言ってしまうと、この写真の時は健康状態が優れないということで来日延期となり、翌年3月に実現することになるのですが、この来日決定時の頃の話から翌年の初来日公演のことを思い出しながら書こうと思います。
どこでこのニュースを聞きつけたかは覚えていませんが、多分定期購読していたジャズライフか何かで見たのだと思います。何回かこのブログにも書いていますが、僕にとって彼は「神」なわけですから、「来日」ではなく「降臨」ですw。そして、「ライブを聴きに行く」のではなく「参拝に行く」ということになります。何処かの誰かがロックギタリストを称して「ロック・ギタリストは2種類いる。ジェフ・ベックとそれ以外だ」と言っていましたが、僕にとっては「ジャズ・ギタリストは2種類いる。パット・マルティーノとそれ以外だ」、まあ、こんな存在なわけですw。
当然東京公演は3日間ともチケットを買いました。場所も渋谷ということで自宅から近いですし、できることなら地方まで追っかけて全部行きたいくらいでした。初日はカミさんと5歳の長男、2日目は一人で、3日目は当時バンドで一緒だったドラムの宇山君と行く予定にしてました。
この当時は教則ビデオ「クリエイティブ・フォース」やCD「Interchange」そして日本のパドル・ホウィール・レーベルと契約し発売された「The Maker」などで直近の演奏を聴くことができ、全盛期に近いところまで回復していたプレイにハマっていたので、もうコンサートが待ちどうしくて仕方がありませんでした。
冒頭に書いたように、11月のコンサートは延期になるのですが、当日現地に行くまで延期になったことを知りませんでした。事前に告知があったのでしょうが、まだまだネット社会ではありませんでしたので、僕の耳には全く届いてきていませんでした。
コンサートの当日の朝、治療中の歯がむちゃくちゃ痛くなりましたw。とてもコンサートどころではありません。歯根の治療をしていた歯がひどく痛み、歯茎が異常に腫れてしまいました。慌てて歯医者に行き「今日は大事なコンサートに行くので、痛みだけでもとってください!」と無理言った覚えがありますw。歯茎を切開し、膿を放出されると、スーと痛みが嘘のようになくなりました(結局この歯は後日抜歯することになりましたがw)。
夕方、かみさんと5歳の子供を連れて渋谷に出かけました。そして、現地の渋谷ON AIR EASTに到着し、壁に貼ってあった掲出物で延期を知り、こう思いました。
「とても心配だ...。また病気で活動中止にならなきゃ良いが。」
その後、健康状態が優れなかったのは一時的なことのようで、4ヶ月後の96年3月に来日公演は実現しました。