僕の音楽史(193)
何日か経ってからキングレコードから封書が届きました。申し込んでおいた「日本ジャズ維新塾」一次審査合格のお知らせでした。
二次審査(本選)は10月16日、横浜のコンペティションの約1週間後ということで、あまり日がありませんでした。課題曲があったので、一回はリハが必要と思いました。どこかのスタジオで2時間ほどやったと思います。

課題曲は審査員でもあった大坂昌彦さん(ds)と岡安芳明さん(g)のオリジナル曲のうちいずれかでした。ギタリスト岡安さんの課題曲はB♭のブルースでしたので、日にちもないですし、ブルースだったら解釈もクソもないので迷わずこの曲に決めました。ただ、リハで色々なテンポで演奏してみて、オリジナルのミディアム・ファーストのテンポではなく少しスローなテンポで演奏しようということにしました。これなら8分音符中心の演奏ではなく、倍テンポ16分音符でマルティーノ風に弾けるので、自分の一番得意な演奏ができるので良いと思いました。また、自由曲はいつものレパートリーからハンコックの「One Finger Snap」にすることにしました。
本選は銀座山野楽器7階ホールでした。どんな人たちが本選で演奏したかは全く記憶にありませんが、前週の横浜コンペティションでグランプリ&横浜市民賞を獲得していたこともあって、なんか負ける気はしていなかったと思いますw。演奏自体も演奏直後のコメントもあまり記憶にはありませんが、唯一印象に残っているのは、岡安さんオリジナル・ブルースのギターソロで僕がコード・ソロを弾き終わった時に、岡安さんがとても嬉しそうに拍手をしてくれたことでした。「貰った!」と思いましたw。
全バンドの演奏終了後の審査発表です。僕らのバンドは優勝でした。そして僕は個人賞の「岡安芳明賞」を貰いました。
岡安さんが好評のコメントで、すごく印象深いことを言ってくた記憶は残っています。この言葉はすごくよく覚えています。
「最近のギタリストはみんな上手い。でも、どいつもみんな『ギター・ジャズ』やってるんだよね。でも、武田君は違った。『ギター・ジャズ』じゃなくて『ジャズ・ギター』を弾いていたね。これが優勝、そして個人賞の理由だよ」
その時ははっきりした意味がわからなかったのですが、僕はこういう風に理解しました。
「ギター・ジャズ」てのはまずはギターありき。ギターの技術を聴いてもらう題材として「ジャズ」を演奏する。
「ジャズ・ギター」はまずはジャズを愛し「ジャズ」を聴いてもらう手段として「ギター」を使う。
岡安さんに正確な意味を問いただしたわけではありませんが、この解釈が本当だとすると最高の賛辞だと感じます。
当日はジャズライフの取材が入って、次月号で紹介されたりしましたし、トロフィーなどもいただいたりしたのですが、資料や証拠品はなぜかこのコンテストのものだけ行方不明になってしまっています。
これで93〜94年の2年間で浅草、吉祥寺、横浜ジャズプロムナード、そして日本ジャズ維新塾の4つのジャズ・コンテストでグランプリを獲得するという「グランドスラム」を成し遂げたのです。
※自慢話ですみませんw