僕の音楽史(179)
夏の蔵王フェスティバルが終わるといよいよ次の一大イベント「オーストラリア演奏旅行」に向けて色々とやらなければならないことがたくさんありました。リハーサルももちろんですが、僕の場合はどちらかというと台東区の担当者や同行者の皆様や近畿日本ツーリストとの打ち合わせが頻繁にあり大変でした。そして、以前にもお話ししましたが、カミさんと当時3歳の長男を連れて(もちろん2人は自腹ですよ)行くことにしていたので、なおさら考えなくてはいけないことがたくさんありました。
ツアー中の出来事の一つ一つはあまり記憶にはないのですが、日程表がありました。

日程は9月30日〜10月8日の9日間でした。成田からシドニー着、観光の後、翌日高速船でマンリーへ渡り3日間滞在中に現地で行われている「マンリージャズフエスティバル」出演とパーティでの演奏が4〜5回ほど。確か1日ホームステイがありました。その後シドニー経由でブリスベンに渡り、ゴールドコーストへ。ここでは確か演奏はなかったと思います。最後はシドニーに戻り1泊後東京へ。ざっとこんな感じでした(だったようですw)。

通常のバンドツアーとは違って、「台東区文化親善使節団」という位置付けでしたので、演奏はさほど多くはなく少し物足りなさも感じましたし、色々制約もあり窮屈な面もありました。各種パーティーへの参加や英語でのスピーチやドレスコード、ホームステイ先へのプレゼント等、旅慣れていないこともあり、考えなくてはならないことはたくさんありました。

何よりも心配だったのは楽器や機材レンタルでした。ウッドベースやピアノ、ドラムスやギターアンプ等はちゃんと用意されているのか?「海外はいい加減だから」とよく聞かされていたので、演奏会場に行くと真っ先に確認した記憶があります。
次回から何回かは記憶をたどりながら音源と写真でこのツアーを紹介していこうと思います。
出発を数日後に控えた日に、テープを送ったことも忘れていた「横浜ジャズプロムナード」から本選審査への進出の連絡が来ました。
