僕の音楽史(174)
浅草、吉祥寺の2つのジャズコンテストに優勝したことでいくつかのイベントで演奏する機会をもらうことができました。下の写真は浅草で優勝したことからお願いされて出演した上野駅でのイベントでの演奏です。




浅草コンテストでの副賞オーストラリア演奏旅行が秋に控えていたこともあって、結構しっかりとバンドでリハーサルを行う様になっていました。レパートリーはスタンダードが半分くらいとその他の楽曲で、オリジナルはまだ演奏していませんでしたが、それでもイントロやエンディングなどを中心に色々実験しながら曲をまとめていくことを繰り返していきました。ライブハウスのコネクションはなかったこともあって、定期的なライブ活動は行っていませんでしたが、それでも繰り返しリハーサルを行っていました。ライブ演奏のためのリハーサルではなく、演奏すること、いろいろな手法をバンドで実験をすることそのものが楽しくて仕方がありませんでした。
リハは大概はこんな感じでやっていました。

まずは何も考えず演奏してみる→荻原さんがちょっとしたアイディアを提案する→阿部君がそれに加えてアイディアを言う→宇山君が試しにそのアイディアをドラムパターンで叩いてみる。→僕が「まずはこっちやってみよう!」「イマイチだな?!次はこっちのパターンで...」みたいな感じでリハの進行する。なんとなくバンマスが武田で、コンマスが荻原さん&阿部くん...そんな感じでした。僕は現在までの音楽活動中で、このバンドで活動した期間が一番音楽的にも成長したと思いますし、テクニック的にもある意味ピークだった様に思います。
そんな時、浅草や吉祥寺で審査員をしていただいたジャズギタリスト沢田駿吾さんからジャズフェスティバル出演のお話をもらいました。