僕の音楽史(168)
表彰の後に審査員のミュージャンとちょっとだけ話す機会がありました。僕はギタリストなので審査員の中で唯一ギタリストであった沢田駿吾さんにお礼を言うために話しかけました。沢田さんはニコニコしながら「うまいね。とっても良かったよ!」と言ってくれました。日本人ジャズギタリストの草分け的存在の方に認められた気がして大変嬉しかったことを覚えています。

グランプリを獲れたことはもちろん嬉しかったのですが、手放しで喜べない事情もありました。
グランプリの副賞は「オーストラリア演奏旅行」と「浅草ビューホテル・ツインルーム宿泊券」でした。宿泊券の方はともかくとして、オーストラリア演奏旅行にメンバー全員が参加できるかがとても心配でした。
ドラムの宇山君は、当時ミュージシャンを目指し頑張っていて、まだ音楽活動もそれほど行なっていないような状況でしたので、比較的容易にスケジュールを空けられそうでしたが、僕を含めて残りの3人はスケジュールを空けられるかがとても心配でした。
オーストラリア演奏旅行の内容は「台東区文化親善使節団」として9月30日〜10月8日の9日で「マンリー・ジャズ・フェスティバル」への参加とシドニー、ゴールドコースト等での演奏やパーティ参加、観光とのことでした。僕とピアノの阿部君はサラリーマンでしたし、ベースの荻原さんは、東工大大学院在籍の学者さん?だったので、長期の休みをこの時期にもらえるかどうかがとても不安でしたが、結果全員なんとか休暇を取れる目処が立ち、ほっと胸をなでおろしました。そもそも「休みが取れそうもないので、辞退します!」なんてことはとても言えない状況に事はどんどん運んでいきました。
浅草ジャズコンテストのグランプリの余韻に浸っている頃に雑誌でこんな記事を見つけます。
「第8回吉祥寺音楽祭/ジャズコンテスト出場者募集」