僕の音楽史(160)
1993年になりました。
武田、一色、脇、西尾の4人の初代武田バンドは、西尾さんの渡米が理由で、昨年暮れから一旦は活動を休止していました。数ヶ月ほど僕はリハもライブもやることなく過ごしていたのですが、もう演奏する喜びを知ってしまたこともあり、活動をずっと休止することなんて考えられませんでした。
バンドのリハーサルはいつも東工大ジャズ研の部屋でやらせてもらっていました。部室ですからリハーサル中に部員がひっきりなしに出入りしていましたので、何人かとは話すような間柄になっていました。そんな中で今でも僕のリーダーバンドのピアニストをやってもらっている阿部義徳君がいました。
彼はやはり東工大出身のジャズ研部員で、前のバンドの一色君と同学年(?)だったこともあり、僕らのバンドのリハの時によく部室に立ち寄って一色君と話していたりしていたので、自然と僕も話をするようになっていましたし、何回か遊びで一緒に演奏したりしていたので、彼のピアノの素晴らしさは既に知っていました。
阿部君に声をかけます。
「バンドやらない?」
彼は快く引き受けてくれました。その時になんで一色君と継続して活動しなかったかは全く記憶がないのですが、多分彼が忙しくなって部室に立ち寄る機会が少なくなって...くらいの理由なのだと思います。あまり大きな理由はなかったのだと記憶しています。
「荻原さんは今はそんな忙しくないと思いますよ。声をかければやってくれると思いますよ。」
「荻原さん」というのは以前もこのブログでも紹介しましたが、やはり東工大出身のベーシスト荻原光徳君の事で、なんて言ったって、僕の師匠ギタリスト布川俊樹さんご推薦の素晴らしいベーシトのことです。最初のバンドを組むときにも当然考えていたメンバーだったのですが、当時は多忙で難しかったので諦めた経緯があります。
荻原さんには阿部君から声をかけてもらったと思いますし、その後僕の方も電話でお願いしたような記憶があります。今回は引き受けてくれました。
残るはドラマーです。
「宇山君って知ってます?部室に住んでいるみたいなやつがいるんですよw彼良いですよ。」
部室に住んでいるくらいなのでw、会っていないわけはないとは思いますが、全く知らないドラマーです。
こうして、初代メンバーとは全く別の4人が集まりました。
武田謙治(g)阿部義徳(p)荻原光徳(b)宇山満隆(ds)
この4人で音楽活動を開始することとなりました。
