僕の音楽史(153)
武田謙治(g)一色剛(p)脇義典(b)西尾研一(ds)のカルテットで人生初めてのジャズバンドで活動を始めるようになってからは、今まで以上にギターの練習をしていました。
僕は今でもそうですが、当時も自分のオリジナル曲を中心に演奏していくことはあまり考えていませんでした。もともと「曲を書く」と言う習慣はあまりなかったですし、良いメロディや曲が浮かぶことは残念ながらあまりありませんでした。「オリジナル曲を書いて自分の音楽を聴いてもらいたい」と言うよりもむしろ「技術的にギターが上手くなりたい」という気持ちが大変強かったと思います。したがって、必然的のバンドで演奏する曲はほぼスタンダードでした。
僕とドラマーの西尾さんがサラリーマンであることもあって、リハーサルは日曜日の日中でした。西尾さんや一色君が東工大ジャズ研のメンバーであったこともあり、部室でリハーサルができたことは非常に大きなメリットでした。自宅からは1時間くらいかかるので決して近いとは言えませんが、スタジオ代金がかからないことは大きなメリットでした。
メンバーが初めて集まって音を出したのが、91年7月、その後は月2回ほどのペースでリハーサルを続けていました。リハーサルとは言っても、僕がやりたいスタンダードを当日持ってきて演奏するだけのものでしたが、それでも何回か演奏すると、それぞれのメンバーの特徴がつかめて、少しづつまとまり感が出てきました。メンバー3人の演奏はそれは素晴らしく、参考になることが大きかったのですが、そんな中でも西尾さんのドラムには、もうぞっこんでした。
夏も終わり、涼しくなったある日のリハーサルで西尾さんが言います。
「工大祭で演奏します?」

※写真は当時の東工大部室のものではありません。