僕の音楽史(151)
年が明け1991年になりました。
メンバーは3人決まりました。武田(g)、一色(p)、西尾(ds)であとはベーシストを決めるだけです。僕も一色君ももう候補者がいないということもありましたし、ベーシスト、ドラマーのコンビネーションは一番大切であることも認識していましたので、西尾さんに聞いてみました。
「いいっすよ、やってくれるかわからないですけど、ひとりいい奴いますから」
そうして、メンバーに加わってきたのが脇義典君です。
この名前に聞き覚えのある方はジャズ好きの方ですね。現在もニューヨークを拠点に活動を継続し、日本では人気ピアニスト山中千尋さんのリーダーバンドで素晴らしいプレイを聴かせてくれているベーシストです。当時はまだ東京大学に籍を置く大学生でした。
早く活動を始めたいということ、何より他の候補者がいないわけですから、まずは顔見せを兼ねて早く4人で音を出したいということで西尾さんに調整してもらい、東工大の部室でリハーサルをすることにしました。
僕が予想した風貌とは全く違う学生さんが現れました。
勝手な思い込みですが、ベーシストというのは「比較的大柄でふくよかな身体、口数は少ないが表情が柔らかく、他のメンバーを和ませてくれる」みたいなイメージを持っていましたが、彼は全く違っていました。「体はほっそり痩せていて小柄、色白で少し神経質」っぽく見えました(笑)。もっとも、それは「東京大学」ということが先入観をより大きなものにしたのかもしれません。もちろん付き合ってからは、印象は随分と変わりましたが。もちろん良い意味ですよ(笑)。
彼も西尾さんと同様、定期的に活動しているバンドはないということで、ベーシストとして一緒に活動してくれることとなりました。
1991年、やっとの事で人生初のバンドを始めることとなりました。
メンバーは「武田謙治(g)一色剛(p)脇義典(b)西尾研一(ds)」の4人です。
