僕の音楽史(149)
今回から1990年と前回の内容から約2年ほど先に進んでいます。
音楽とは直接関係がありませんが、90年初頭に男の子が生まれました。そんなこともあって、僕も妻も子育てに奮闘していて、音楽どころではなかったのだと思います。バタバタしていて、あまり音楽的な出来事の記憶がありません。布川さんのレッスンは正確には覚えていませんが、子供が生まれる前に一時は休んでいて、子供が生まれてから再開したような気がしています。
子育てのバタバタが少し落ち着いた頃に再びバンド組みたいという気持ちが再び強くなって来ました。
ここで東工大の一色君というピアニストが僕の音楽史に登場してきます。どういう形で彼と知り合ったのか正直覚えていないのですが、多分、以前この記事にも書いた同じ東工大のベーシスト荻原さんから紹介してもらったのだと思います。彼も布川さんや荻原さんと同様、東工大のジャズ研メンバーでした。
彼と一旦東工大のジャズ研部室で会い、簡単な音出しをして、一緒に活動をしてもらえるという意志を確認できました。これで「ようやくバンド活動ができる」と、とても嬉しかったように記憶しています。僕がやりたいバンド編成はギター、ピアノ、ベース、ドラムスのギター・カルテットでしたので、彼と残りのメンバー、ベーシストとドラムスを探そうということになりました。
彼の知り合いベーシストや僕のライト時代の先輩ドラマー等、何人かと何回かに分けて一色君と部室で音出しをしました。いずれも方々も音楽的趣向の違い、本人が一緒に活動する気持ちがない、スケジュール的に無理などの理由から半年間ほどベースとドラムのメンバーが一向に決まらず、未だバンドでの活動ができず、メンバー探しは暗礁に乗り上げていました。
そんな状態が続いて何ヶ月か経った頃のことです。一色君と彼の紹介するベーシスト、ドラマーと東工大部室で音出しをする約束をしていたのですが、約束のドラマーが時間が過ぎても来てくれません。ドラム抜きの3人で音出しをしましたが、面白くないので小一時間ほど演奏したのちに帰ろうということになって後片付けをしていたところに、入り口のドアが開いて大きな男性が入って来ました。
この方が僕がその後、幾たびか音楽活動を共にすることになる素晴らしいドラマーの西尾さんでした。
※下写真は当時の東工大部室ではありません。
