僕の音楽史(142)
正確なことは覚えてはいないのですが、この頃にギタリスト布川俊樹さんが僕の音楽史の中に登場してきます。
僕は「世紀の大発見(マイナーコンバージョンの発見)」のおかげで、そこそこスタンダードが弾ける様になりましたが、一緒に演奏する音楽仲間は一人もいませんでした。学生の時のライトのメンバーとは付き合いが無くなっていましたし、皆んなビックバンドが大好きな人たちが多く、楽器を続けている人たちも意外に少ない感じでした。
この当時「ジャズライフ」を定期購読していました。今よりもページは厚く、興味を引く記事も盛りだくさんでした。音楽シーンも今より活発に動いている感じでした。この雑誌で記事や奏法解説の記事を頻繁に書いているギタリストが布川さんでした。
ある時ジャズライフのページの片隅に「ジャズ・ギター教えます」という広告を目にします。
布川さんの演奏はこの当時はまだ聴いたことがありませんでした。まだデビュー・アルバム発売前でした。ライブハウスも卒業後は全く行っていなかったですし、YouTubeなんて全くない時代です。でも、奏法解説はよく読んでいましたし、「ジョン・スコ」「コンディミ」「アウト」なんて言葉がよく出てきていましたので、すごく興味がありました。僕が大学の時に「ジョー・パスそっくりさんコンテスト」ってのがあって、布川さんはそれに優勝していて、僕もそのコンテストは「完全コピーで良いんだったら出してみようかな」なんて思っていた時期もあって、名前が記憶の片隅に残っていました。
メールもメッセンジャーもない時代です。すごく緊張はしましたが、電話してみようと思いました。
もともと習うのも教えるのも比較的好きでした。でも、レッスンの一番の目的は「たったひとりで自宅で弾いていてもつまらない」からでした。「世紀の大発見」以来は数十曲くらいならスタンダードをそこそこ弾ける様になっていましたが、人と演奏していないので、どのくらいのレベルかが自分でもわかりません。また、「音楽的に、技術的に伸びている」実感がありました。新しいことを吸収したい気持ちが非常に大きかったと思います。
とりあえず、布川さんと電話で話して、体験に行く約束を取りました。感じの良い応対ですごくホッとしたことを覚えています。
この時はあくまで体験で、ずっと通うかどうかは考えていませんでした。レッスン場所の自宅まで1時間以上はかかるので、続けられる自信もありませんでした。それが、この後2年間、そして数年の間を空けてもう2年間、都合4年間通うことになるどころか、技術的にも人脈的にも現在の音楽活動の基盤を作るまでになるとはその時は想像もできませんでした。
