僕の音楽史(123)
夏休みのオーストラリア演奏旅行が終わると秋口から年末までにかけては就職活動を行っていたので、これと言った音楽活動は行なっていませんでしたし、記憶に残っているものはありません。幸い僕を含めて4 (F)年の男性陣は皆なんとか就職先が決まりました。女性ピアノのTさんは就職活動をしていたものの、もともとピアノを続けて行くとのことであまり熱心に活動せず、結果企業には就職しないとのことでした。一番まともに学校に通っておらず、ゼミにも参加していない僕が一番危うかったですが、まー、なんとか決まりました。F年のみんなはなんだかんだ言って、僕の目から見るとしっかりと学業と音楽活動を両立している方々でしたので、そこそこ人気有名企業に決まりましたが、僕は成績が芳しくないので、鼻からそんな企業には相手にされませんし、どうでも良いと思っていたこともあり、真面目に考えちゃいませんでした。それでも、現在もその会社に在籍し、あと数年の定年まで勤め上げることができるのは、人生の選択、真面目に考えなかった割には、そんなに間違っちゃいなかったのかなと思ったりしています。
就職活動の時に少し考えたことがあります。「ギタリスト目指して頑張っていこうか?」「音楽関連業界に関わっていこうか?」ということです。親は別に反対はせずに、逆に後押ししてくれたりしました。
「お前は次男だし、我が家は商売をやっているわけではないから、後継なんて考えなくっていい。好きなことをやってもいいよ」
音楽や美術などの芸術の道に進みたいと言う子供にこんなこと言ってくれる親は普通いないと思います。普通は大反対でしょう。僕の場合は大学入学するまでは音楽に対しては「勉強の邪魔になる」とギターを取り上げたりされたり、受験が終わるまでは「音楽は禁止だ!」とひどく厳しく言われていましたが、大学入学後は急に応援してくれるようになっていました。所属しているサークルもライト・ミュージック・ソサイエティという伝統あるしっかりとした団体であり、先輩に「北村英治」「大野雄二」「神保彰」等たくさんの素晴らしいミュージシャンを輩出し、海外や全国各地にツアーに行くなどを、親としてはただ「息子はバンドやってます」とは違うと思ってくれたのでしょう。
親は随分たってからこんな風に言っていました。
「お前には兄と一緒に勉強以外にも色々なことやらせてきた。兄は器用な人間で、なんでもお前より上手にできるようになった。でも、ギターだけは全然違った。兄が何日もかけて練習してもできないことを、お前はすぐその場でできるようになった。だから、ギターはきっと才能があるんだと思う。取り上げてはいけないと思った。」
僕の結論は意外に簡単に決まりました。
「普通に就職して、趣味でギターを弾く」でした。
理由は簡単です。自分と大した違いのない年齢で活躍する素晴らしいギタリスト達を聴いて、とてもそんな世界に足を踏み入れる勇気がなかったからです。今現在のレベルくらい弾けたら、少しは考えたかもしれませんが、それにしても多分ならなかったと思います。そして、1番の理由、僕は「ギタリスト」ではありますが「ミュージシャン」ではないからです。要は「ギターがちょっとくらい上手くたってダメ」ってことです。ギターは「自分の音楽を実現するための道具(おもちゃ)」と思うのです。今の僕は「おもちゃ」を上手に使って楽しく皆んなと遊べますが、残念ながら肝心の「音楽」に全く自信がありません。
お父さん、お母さん、こんな程度の才能で申し訳ありませんでした(笑)。
いや、まだ終わっちゃいない、まだ頑張ります!
