僕の音楽史(121)
前回にも書きましたが、この当時はもうメセニーばかり聴いていました。お気に入りは「アメリカン・ガレージ」と「ライブ(トラベルズ)」でしたが、これをきっかけに個人名義でリリースしていたアルバム「ブライト・サイズ・ライフ」「ウォーター・カラーズ」そして直近でリリースされたアルバム「80/81」なども購入し、ともかくメセニー一色だったように記憶しています。フレーズ・コピーも結構やっていましたが、当時はまだ理論的な裏付けができていなかったので、今のように色々な曲や進行に応用させることができていなかったと思います。ただ、僕が今でも使うメセニー・フレーズのほとんどがこの時のストックと言えますね。



ライトもF(4)年ともなると、休むわけにはいかず、週3回の練習は必ず参加していました。そして、練習のたびにギターを担いでいくのが面倒になったので、楽器は部室に置き、もう一本自宅で練習するためのギターを購入することにしました。当時はリトナーやカールトンの全盛期でもあり、335系のセミアコを使っている人がギタリストのほとんどでしたし、僕もヤマハSA-1200を使っていましたので、その一人でした。もう一本のギターはやはりセミアコを買おうと思い、当時発売されたばかりのアイバニーズのリトナー・シグネイチャー・モデル( LR−10 )を買いました。この楽器は結局は人前で弾くこともなく、大学卒業後にすぐに売ってしまったので、あまり詳細なことは記憶にないのですが、今思うと練習用にしておくだけではもったいないような素晴らしい楽器だったのではと思います。


そして、夏休みが近づく頃ともなると、同級生は皆就職活動を始めていました。ライトの同僚も僕とピアノ女子Tさん以外は皆活動を始めていたようでしたが、僕は全くそんなことに興味がありませんでした。音楽で食っていこうなどと大それたことは考えていませんでしたし、そこまでのギターの腕前などはありませんでした。ただただ現実逃避、面倒なことを考えたくなかっただけです。それより、必修科目の英語の単位を落とし4年になっても週1回は日吉に通っていた僕の関心ごとは「4年で無事卒業できるか」でした(笑)。