僕の音楽史(114)
バンドマスターになって初めてのライトの合宿はいつものように苗場のブルーリッジで行われましたが、正直音楽的な事は何の記憶もありません(汗)。覚えているのはひとつだけ、朝・昼・夕飯時の「いただきます」の声がけが恥ずかしかったことくらいですね。どんな曲をやったかも全く記憶がありません。したがって、この後行われた山野ビッグバンドコンテスト、実は最優秀賞を勝ち取ることになるのですが、演奏曲も全く覚えていません。


その後、資料によると演奏旅行で徳島・岡山、そして八戸・青森に行ったらしいのですが、これまた残念ながら何一つ覚えていません。
あ、この文章を書きながら思い出したことが2つありました。このころの話であるか定かではありませんが....。
ひとつは、このころのライトで確か「Jenie」って曲がレパートリーにあって、Cm7(Dm7)一発?のソロが数十小節ありました。以前このブログにも書きましたが、当時お気に入りのリッチー・コールがたまたまスタジオ・ライブでこの曲を演奏していて、その中でメンバーのブルース・フォアマンがかっこいいソロを演奏していたのを参考に練習していたのを覚えています。
もう一つは、上越新幹線開通記念で越後湯沢駅構内で演奏したこと。僕の故郷は新潟で、親戚が六日町に住んでいました。僕の親から聞きつけたのか、わざわざ家族みんなで見に来てくれました。子供の頃、よく冬休みにスキーのため兄と二人で毎冬泊まりに行っていたおばさん一家と久しぶりの再会し、元気な姿を見せることができて嬉しかったこと。
ギターの腕前はというと、まだまだパッとしなかったですね。ともかく手当たり次第好きなギタリストのフレーズ・コピーは続けていましたが、ひとつひとつ学んだことが全然繋がっていかずに、壁を越えることができずにいました。