僕の音楽史(112)
大学3年になりました。というか、なんとか進級できました(笑)。僕が在籍していた慶應大学商学部は3年からは校舎が日吉から三田になります。といいつつ必修科目を落としていたので、週に何回かは日吉に行くハメになりました。でも、決して行くことはありませんでした(笑)。僕以外の同期のメンバーはゼミに入って、ライトとの両立が大変そうでしたが、僕はハナっからゼミになんか入るつもりはありませんでした(笑)。授業も相変わらず出席などしません。したがって、三田とはいっても、ライトの練習で週に2回、ほんの2時間ばかり学校に行くだけで、しかも夜2時間ほど行くだけなので、なんら生活は変わりがない、それどころか却って暇になりました。
ライトのメンバーも卒業とともに多少の入れ替わりがありました。身近なところでは、ピアノの寺さんが卒業したことで、ピアニストはF年(4年)久野さんという女性ピアニストに変わりました。
リズム隊4人(ピアノ、ギター、ベース、ドラム)は管楽器のセクションとは違い、レギュラーのポジションが一人だけですので、一学年違いの先輩がいると4年までレギュラーの座は回って来ませんし、下から自分より上手い奴が入って来たらレギュラーになることができません。僕は一学年上の先輩が、とある事情でライトを離れたので、D年(2年)の途中からレギュラーになれたのですが、そんな事情もあって久野さんはF年で満を持してレギュラーになったわけです。
彼女も寺さんと同様に強力な「絶対音感」の持ち主でありましたし、ビッグバンドのアレンジもこなす才能の持ち主でありました。しかも寺さんのような人の後任としてレギュラー・ポジションに就くのは、本当は随分とプレッシャーがあったと思いますが、それは持ち前のキャラでそんなところを見せることはけっしてありませんでしたし、そんな状況を楽しんでいるようでした。
僕のジャズ・ギターの演奏でいうと、いろいろコピーはしていましたが、やはり理論的なのことが全く理解できず、スタンダードも限られた曲しか弾けませんでした。それも、手本の演奏がないとダメ、そんなレベルでしたね。練習量は人の数倍やっていたと思いますが、根本的なことがまるでわからないために全く応用が利かない、要するに「数学の苦手な人が問題の解法を覚える→ちょっとひねられると解けない」そんな感じでした。
※写真と本文は全く関係ありません。僕がいた頃のライトではありません!
