僕の音楽史(100)
はっきりした時期は覚えていないのですが、ライトのレギュラー・メンバーがコンコード・ジャズ・フェスティバルから帰って来て、間も無くして僕は突然ライトのレギュラー・メンバーになりました。
別に僕が上手だったからでも何でもありません。1年上の先輩、レギュラーのギタリスト「カンタ」さんは法学部に在学していて、法律の勉強を本格的にやって行きたいという事で大学以外に法律専門学校に通うこととなり、ライトの練習に参加ができなくなったというのが理由だったよう思います。
お世辞でも何でもなく、この時点では「カンタ」さんの方が僕より上手だったと思います。もっと正確に言うと、僕より器用なギタリストで、どんなタイプの演奏もそつなくこなせるプレイヤーだったように思います。僕は今でもそうですが、得意不得意や好調不調があるバランスが取れていない不安定で不器用なプレイヤーでした。
正直、ライトのレギュラーになった喜びとかプレッシャーみたいなものはあまりありませんでした。今まで何回も書いてきたピアノの寺さんや前回登場のドラムの中村さん、そしてギターのカンタさんと高校時代からのバンド仲間でもあったベースのタダシさんは皆、暖かく迎えてくれたと思います。
一つだけ思っていたことがあります。「カンタ」さんの真似はやめようと思ってました。ライトのメンバー達は偉大な先輩たちのソロが代々受け継がれていることがあったり、それが「書き譜」みたいになっているソロもあったりしましたが、僕はそういうのが正直好きではありませんでした。そもそも「カンタ」さんの真似なんか出来ませんでしたし、逆にリズム隊の皆さんはそんなことを強要したりはせずに、好きなようにやらせてくれました。とても嬉しかったですね。
当時のレパートリーで、ギター・ソロがある曲だけでも少なくとも弾けるようにならなくてはまずいなと思い、まずは優先して練習してました。「エイント・ミスビヘイブン」なんかはカンタさんは確かオクターブ奏法でかっこよく決めていましたが、僕は16分音符で弾きまくっていたり、「スクラップル・フロム・ジ・アップル」は譜面には書いてなかったのですが、「リッチー・コール&ブルース・フォアマン」がよくやっていたように、アルトのテーマとユニゾンを勝手にやったりしていました。当時から指はよく動く方でしたので、とにかくギター・ソロも8分音符で埋め尽くして弾いていましたね。同期のメンバーからはよく「音数が多い」て言われてましたが、未熟な自分は「悔しかった早く吹いてみろよ!」なんて思ってましたね(笑)。
僕の記憶が正しければ、初めてのライトとしてのオフィシャルな仕事は、この後・・・・。これ、僕にとってはものすごい事件でした!
つづく!
