僕の音楽史(98)
新潟時代からの親友新保くんに久々に会ってロック談義に花が咲いていたのと、ライトのレギュラーではなかったこともあって一時的にジャズから離れていましたが、そうこうしているうちに夏休みとなり、恒例の夏合宿が始まりました。昨年同様に苗場「ブルーリッジ」だったと思います。
昨年までは「写譜」と「デンスケ番」で睡眠時間も取れないほど忙しかったのですが、D年イレギュラーはやることがありません。同学年の友人たちも僕とピアニスト女子以外はめでたくレギュラー・メンバーになっていたので、部屋は同じでしたが、練習が終わってから夜寝るまでの飲み以外は話すこともなく退屈でした。
昼はなるべくギターの練習、秋山さんやジョージ・ベンソン、ブルース・フォアマンなどのコピーをやっていましたが、カセット・テープ何本かの限られた音源しか持ち込まなかったので、あんまりはかどっていたとは言えません。
僕が合宿で人前で弾いたのは、確か最終日のジュニア・バンドの発表会の時だけですね。その時の模様をとった写真を以前後輩からいただいたので、恥ずかしいですがお見せします。本邦初公開ですね!


当時僕は大学入学祝いで親から買ってもらったヤマハのセミアコSA-1200(ワインレッド)をメインに使っていました。リトナーやカールトン全盛期でもあって、ジャズ、フュージョン系のギタリストは皆使っていましたね。もう一本ヤマハのフルアコSE-2000も持っていましたが、ほとんど使っていませんでした。家でたまに弾いていましたが、ほとんどはセミアコで通していましたね。
写真を見ると上手そうに見えるでしょう(笑)?でも、実際のところはブルースや一発ものくらいしか思う様に弾けなかったですし、スタンダードはほんの数曲くらいしか知りませんでしたね。右手のピッキングは当時も今と同様にすごく悩んでいて、フュージョン系のエコノミー・ピッキングやベンソンの様な逆アングルなど色々試していたりしていました。もともと手首が硬く動きが大きいこともあって、一音一音ピッキングした早弾きは苦手でした。カシオペアの「ブラック・ジョーク」やリトナーも「キャプテン・フィンガーズ」のユニゾンなどは必死に練習していましたが、結局弾ける様にはなりませんでした。その分、左手は他人と比べて随分と滑らかによく動くなと感じていました。握力も相当強力なのではと思います。これは、今も変わっていませんね。
こんな感じで合宿は終わりました。
そして、ピアニストの寺さんはこの後の山野ビッグバンド・コンテストでは「最優秀ソリスト賞」を獲りました。そして、ライトは確か準優勝でしたね、確か。曲は何やったかは全く記憶にないですが(笑)。