僕の音楽史(97)
新潟時代の親友新保君に連絡を取り、早速彼の下宿先に遊びに行くことにしました。
高校を卒業し、彼は1年間新潟で浪人生活を送っていたこともあり、約1年半ぶりの再会でした。彼との話はジョン・ボーナムの死とツェッペリンの解散から始まり、今現在の音楽的趣向について彼のレコードを聴きながら色々と語り合った様に記憶していました。もちろん詳細は覚えてはいないのですが、次の3つのことは記憶にとどまっています。
1つ目、彼は「ゲイリー・ムーア」というロック・ギタリストに夢中になっていたこと。何曲か聴かせてもらいましたし、写真も見せもらいました。正直僕は全く好きにはなれませんでした。ちょっと癖のある感じで、拳が効いた様なギターは日本の演歌を彷彿させて、肌に合いませんでした(笑)。また、ルックスで判断してはいけないのでしょうが、ベックやペイジ、リッチーなんかに比べて、ちょっとブサイクでした(ファンの方、ごめんなさい!)。後にも先にも「ゲイリー・ムーア」のギターはこれっきりでした。

2つ目、僕と新保は高校時代に「クィーン」についてはもちろん聴いてはいましたが、ツェッペリンやパープルに比べると少し低く見ていました。ブライアンのギターだけは2人とも評価していましたが、バンドとしては「ベイシティー・ローラーズの少し上」くらいに思っていました。ただ、この時、彼はしきりに「クィーンを過小評価していた」と言っていたのをなんとなく記憶しています。内容は覚えていませんが「ボヘミアン・ラプソディ」を久々聴いた様に思います。

3つ目、「フォーカス」のライブ盤の「シルビア」が最高!と言って、聴かせてくれました。これは僕もハマりました。中学当時は「悪魔の呪文」ばかり聴いていて、他の曲はあまり聴いたことはなかったのですが、当時の洗練されたアメリカ西海岸のフュージョンやカチッとまとまった日本のフュージョンに慣れていた頭をトンカチでひっぱたかれた感じがしました。荒削りでパワフルな「ジャズ・ロック」という感じで、「俺がもしギターバンドやるならこんな感じかな?」と思ったりしました。

彼の下宿先は自宅から1時間くらいと比較的ちかかったので、この後、数ヶ月ごとに彼の下宿先に遊びに言ったり、自宅に呼んだり、一緒にレコード屋めぐりをしたりとまた付き合いが復活しました。