僕の音楽史(95)
大学2年になりました。なんとか進級できました。春休み中は進級できるか非常に気が気ではありませんでしたが、なんとかギリギリ単位数をクリアしていました(笑)。
ライトは辞めずに続けてはいました。この時点で同期の友人たちは僕を入れて5人だけになっていました。5人の中でもバリトンサックス奏者の佐藤はすでにC年からレギュラーでしたし、一番つき合う時間の長かったトロンボーンの川島やアルトの小林も先輩たちが抜けたので、D年からめでたくレギュラーバンドの参加するようになり、ギターの僕とピアノの女性月岡さんはレギュラーポジションが一人しかないパートであり、レギュラーの先輩の実力を上まわっているわけではないので、そのままジュニアバンドのみの参加になりました。
C年のころはイレギュラーであっても、先輩たちレギュラーの練習には参加が必須であり、かつジュニアバンドの練習も必須、ダンスパーティー等の仕事も全て参加しなくてはならず、かなりの拘束時間でしたがD年イレギュラーは週二回の日吉の練習のみの参加でよかったこともあり、突然暇になりました。しかも、ジュニアの練習は退屈でしたので、結構休みましたし、新入部員もいろいろな楽器で結構入部して来ましたが、正直あまり興味がありませんでした。完全に幽霊部員になりました。
とにかく、有り余る時間は全てギターの練習に費やしました。
ある時、FM東京の番組でリッチー・コールのスタジオライブを偶然やっていました。前のブログでも何回も書きましたが、リッチーについては、先輩「淳平さん」を通じて知ってから、結構聴いていましたので、番組の途中からカセット・テープに録音します。何曲目かにお気に入りの「ニューヨーク・アフタヌーン」を演奏しました。エンディングのリピート部分でメンバーのギタリストのソロが始まりました。
「えっ!?これは凄い!誰だこいつは??」
これが「ブルース・フォアマン」との最初の出会いでした。
今まで1年ほどジャズギターを勉強してきて、「ビ・バップ」とはどういう音楽か少しづつわかってきましたが、正直ギターで演奏するのは難しいと思っていましたし、どんな感じで自分のギターに取り入れていったら良いかわからないでいました。彼のバップの定石フレーズを「これでもか!」と流れるように弾きまくるスタイル、リッチーの高速テンポにぴったりとついていく驚くばかりのテクニックに虜になってしまいました。
「ビ・バップってかっこいい!」
初めて思いました。今まで「秋山一将さん」と「ジョージ・ベンソン」の2人をコピーしまくってきました。また「ジョー・パス」をかじり始めた時期でもありました。今まではフレーズコピーというと「コード一発もの」や「ブルース」が多かったのですが、リッチーが演奏する楽曲はほとんどスタンダードとバップでしたので、覚えたてのジャズ特有のコード進行に乗せて弾きまくるフォアマンのフレーズはまるで教則レコードのようでした。そして、技術的に厳しい部分もありましたが、ジョー・パスとは違い、和音のフレーズはなく、シングル・ノートでのプレイに始終していたので、ある意味採譜しやすいものでした。
僕は「チャリー・パーカー」ではなく、「リッチー・コール」そして「ブルース・フォアマン」から「ビ・バップ」を学びました。

