僕の音楽史(76)
先輩達の演奏する姿に目をやると、今まで見たことのない先輩がアルトサックスを吹いていました。
「あれ、誰だろう?」
「お前、知らないの?あの人が淳平さんだよ!!」
「????」
「お前知らないの?」って言われたって、知るわけはありません(笑)。でもC年(1年生の事ですね。ちなみに2年はD年、3年はE年、4年はF年です。わかりますよね?)では、僕ともうひとりピアノのT岡さん以外はなんと皆彼の事を知っていたのです。知っているどころか、色々話を聞いてみると、なんとトロンボーンの川島もアルトの小林もバリトンサックスの佐藤もなんとこの「淳平さん」の演奏を入学前に聴いたことがライトに入部するきっかけとなったことのようです。また、以前もこのブログにも書きましたが、カシオぺアに参加することになった神保さんとライトとは別にコンボで活動していて、音楽的なイニシアチブをとっていたのが、どうやら淳平さんらしいってこともわかりました。
「淳平さん」に何故今まで気が付かなかったのかはわかりませんが、想像するに彼はF年だったので就職活動かゼミの関係かなにかで今まで練習に出ていなかったのではないかと思います。
そんな話を練習中に聴かされたので、彼の吹くアルトに耳を集中して聴いてみました。今なら一聴してその凄さがわかったのかもしれませんが、正直その当時はまだジャズもアルトも数えるほどしか聴いていなかったので、わかりませんでした。でも、一緒に吹いていたサックスセクションの先輩たちが妙に緊張している風にも感じられましたし、先入観かもしれませんが独特のオーラを感じました。
練習が終わって、追加の情報を色々聞かされました。細かくは覚えていないのですが、印象に残ったのは次の2つです。
まず、「山野ビッグバンドコンテスト」ってやつが、毎年夏にあり、ライトを含め学生ビッグバンドはそれに向けて日々練習している。要は高校野球で言えば、「甲子園」みたいなものであるが、そこで「淳平さん」は「最優秀ソリスト賞」を取ったという事。
もう一つは、サックス・セクションが練習前のウォーミングアップで吹いていたロングトーンやスケール練習、フレーズ練習は彼が自作し、コピーして配布したものであったこと。
一つ目に関しては、彼と同じアルトサックス奏者の同僚小林君にコンテストの生録演奏テープを後日借りて聴きました。確か「アイ・リメンバー・バード」だったと思います。もちろんその時の演奏テープは今聴くことはできませんが、先ほどYoutubeで「オリバー・ネルソン」のテイクを聴いて記憶がよみがえりました。確かカデンツァ~フラジオのテクニックと迫力の演奏にジャズをわからないなりにも驚愕した記憶があります。
もうひとつの配布されたウォーミングアップ譜面は僕もコピーさせてもらい、ロングトーン以外の部分はギターでも使えたので、十数年に渡って僕も使っていました。先ほどちょっと探してみましたが、見つかりません。後でゆっくりと探してみようと思います。
ライトの練習、はっきり言って僕にとってはあまり面白くなく、そろそろ「辞めようかな?」と考えだしていた時期ではありましたが、レギュラーの練習の時は、淳平さんのアルトを聴いて「他の人たちと何が違うのか(ほかの方々、すみません!)」を分析しようと考え、もう少し頑張ってみることにしました。
ライト出身の方もこのブログを読んでくれているようですので、白状します。
同僚や先輩たちは僕の事を「ライトに対しては不真面目!」と感じてたと思います。確かに表面上は不真面目な態度でやってましたが、音楽的には一番ストイックにやっていたと思います。僕はこのくらいの時期から、その時その時で、特定の先輩や同僚を心の中で「酒の肴」にして、「ノリがイマイチだね」「すげー、どうやったらあんな演奏ができるんだろう?」などなど、演奏していない間も常に研究していました。そして、気が付いたことは自宅で自分のギターで実践してみたりしていました。ジャズは当時はこれっぽちも弾けませんでしたが、高校時代までロックをやっていて、一時まで「天才ギタリスト」なんて言われてたプライドを引きずっていて容易にあきらめきれなかったのだろうと思います。
だから、ライトを辞めなかったのですよ!
