僕の音楽史(64)
クリエイションの竹田和夫さんのソロ・アルバムが発売されました。それが下の写真のアルバムです。

クリエイションのここ数年の変貌からある程度予想はできていましたが、「ここまでやるか?!」と正直思いました。クリエイションの楽曲と何曲かは被っていましたが、より一層メロウな、それでいてブルース色の濃い仕上がりになっていました。当時のクロスオーバー・サウンドを反映してか、一言で言うと「クロスオーバー・ミュージック」とくくることも可能ですが、今聴いても「The竹田和夫」と言える独特のサウンドでもありました。ただ、僕にとっての竹田和夫さんはもう他のギタリストとは別格であって、どんな事をやろうとも否定的な感情を持てない程になっていました。「こんな感じでトウキョウ・サリー演奏したら、昔からのファンは離れていくよなー?俺は好きだけどね」そんな感じで聴いていました。
このアルバムは良いとか悪いとかは別にして、僕にとって重要な位置づけでありました。それは、当時のクロスオーバー・ギタリスト(「リトナー」「カールトン」「渡辺香津美」等)のプレイを理解する手助けになりました。
先の3人の様なジャズ寄りのクロスオーバー・ギタリストのプレイは、当時は全く理解できませんでした。フレーズをコピーし、同じように弾けても、理論的に、音楽的に理解できていないので全く応用ができず、アドリブの中に生かすことができませんでした。そんな中、ロック、ブルースをルーツに持った和夫さんのプレイは、彼らのようなクロスオーバー系ギタリストのプレイを理解する橋渡しをしてくれましたし、「和夫さんも、もしかしたら俺と同じく格闘して弾いているのかな?!」と感じたりしていました。
ここからは少し音楽の話から外れますが・・・・。
このアルバムを聴くと、僕は「駿台予備校」を思い出します。新潟にはこの当時駿台予備校はありませんでしたが、さすがに受験を約半年後に控えていたこともあって、東京で既に大学生活を送っていた兄の家に夏休みは居候させてもらい、御茶ノ水で夏期講習を受講していました。その時に毎日このアルバムを聴いていたからです。
夏期講習時点では国立文系コースで、一橋大学経済学部を目標に頑張っていました。ただ、「正直厳しいな」とも感じていました。兄が東京大学理科Ⅱ類であったこともあって、自分自身無理をしていたこともありましたし、親や親戚からも「兄は東大なんだから・・・」という無言のプレッシャー、時には露骨に言われたりして、少し背伸びをしていたこともありました。
夏期講習の最後の日に模擬試験がありました。正直、歯が立ちませんでした。試験の結果を待たずに、「少し考え直そう」「親に勇気をもって切り出そう」と思いました。
夏期講習から戻って、新潟の家に帰って久しぶりにギターを弾きました。そして、実感しました。
「夏期講習の半月の間ギターが弾けなくて、こんなにストレスを感じていたのだから、東京での浪人生活は絶対無理だ!」
決断しました。
「私立文系にする!」