僕の音楽史(52)
あの「四人囃子」の、そして「ギターワークショップVol1」の森園さんが新潟でギター・クリニックを行うとの話を聞きました。またとない機会と思い、当然申し込みをして行くことにしました。
行く前に森園さんの事を予習しなくては思い、発売されたばかりのソロ・アルバム「バッド・アニマ」を親友新保君から貸してもらいました。正直、ひとつひとつの曲について今となってはあまり記憶がないのですが、1曲目「ディア・ハービー」という曲はすごく気に入り何度も聴きましたし、森園節が炸裂していました。

クリニックは、ギターのないカラオケを使って森園さんがソロ・アルバムから何曲かデモ演奏をしたり、サウンドや奏法解説を行ったりしました。そして、最後にギターを持ってきた僕を含めた生徒達に簡単なコード進行の上で演奏させて、それについて森園さんがアドバイスしてくれるというものでした。
生徒たちはほぼ僕と同世代の高校生や大学生くらいでした。クリニックが始まる前の待合室、みな同世代なので気軽に話をしていました。僕は彼らの事は全く知りませんでしたが、彼らの大半は僕の名前を知っていました。何故かというと、以前もブログに書いた自慢話の「中学の文化祭」での出来事やここ最近の数回のおじさんとのライブ演奏で「プロに誘われた」みたいな噂は広まっていて「あの武田さんですか?はじめまして」なんて挨拶されて、とても良い気分でした(笑)。
生徒たちの演奏が始まりました。僕は確か順番では真ん中位だったと思います。最初の生徒たちの演奏を聴いてぶっ飛んでしまいました。「凄い!」「速い!」そして思いたくなかったのですが「負けた」と思いました。次の人もその次の人もみな似たような感じで、16ビートのカッティングに合わせ、それは速弾き中心のカッコよいプレイを披露していました。前回書いた「ギターワークショップ」のアルバムで聴いたようなサウンド、自分自身どうやっているのかもわからず、できるようになる気もしない状態で悶々としてましたが、同世代の高校生ギタリストたちは目の前でいとも簡単にあのサウンドを再現していました。
僕の順番が来ました。当然そんな演奏はできるわけもないので、いわゆる「ブルース」を何コーラスか弾きました。僕の演奏に対して彼らはどう思ったかは本人たちに聞きもしませんでしたが、少なくとも僕の目には「僕の演奏にはあまり興味がない」ように映りました。
音楽的に完全に「孤立」してしまったと感じました。「取り残された」とも強く感じました。自分以外の周りは「動いている」「うねりに飲み込まれている」と感じました。今なら自分のプレイを「人と違っていて良い」と思えたのかもしれませんが、その時は「焦燥感」だけでした。
ギターについてこれが最初の大きな「挫折感」だったのですが、今もギターを続けられている理由の一つに、森園さんの言葉や態度が関係しています。僕の演奏の後、森園さんはこう言いました。
「おっ、ブルースっぽくていいね!ブルースは基本だと思うからさ、エレキギターやってるなら、どんなジャンルをやってる人も弾けるようにならないとね。」と先に演奏した彼らに向かって話していたのと、僕の演奏のバッキングでブルースコードを弾いてくれた森園さんは他の皆のバッキングをしている時よりなんか嬉しそうに見えたことです。これだけが唯一の救いでした。
クリニック終了後、逃げるように帰ろうと思いましたが、一つだけ皆に聞いておかなければならないことがあり、引き返しました。
「みんな、どんなの聴いてるの?」
口をそろえてこう言いました。
「プリズム!」
