僕の音楽史(47)
レインボウが来日することを、友人新保君から聴きました。しかも、なんと新潟県民会館にやってくることを聴いてまたまたびっくりしました。

この当時はまだ上越新幹線が開通していないこともあってか、来日するミュージシャンが新潟に来ることはほとんどありませんでした。したがって、僕もこの時点で以前にブログに書いた小学校5年で観た「ユーライア・ヒープ」以外は全くコンサートに行ったことがありませんでした。あっ、正確に言うと、中学校の時に新潟体育館で山口百恵は見ましたが(笑)。
最もこの当時はもう「リッチー・ブラックモア熱」は覚めていました。「バーン(紫の炎)」を最後に急激に聴く回数は減っていきましたし、パープルでの最後のアルバム「嵐の死者」は聴いたことはありませんでしたし、あまり興味もわきませんでした。もちろん、その後リッチーが「レインボウ」を結成したことも知っていました。そして、なぜかレインボウのファースト・アルバム「銀嶺の覇者」は購入しましたが、インストの曲を除いては全く好きになれず、記憶にも残っていません。
そうは言っても、ここで観に行かなければ、もしかしたら一生観ないまま終わる可能性もあると思いましたし、バンドとしてそんなに興味がなくても、リッチーのようなギタリストを見る機会などそう簡単に訪れないと思い、新保君と観に行くことにしました。
どうだったかと言うと、残念ながらほとんど記憶にありません(汗)。覚えていることは、次のことだけ。パープル時代の名曲「ミストリーテッド」を演奏した事。そして、その時にテープエコー代わりに使っていたオープンリールのMTがぐるぐる回っていたこと。たったのこれだけです。
パープル時代からほんの数年しかたっていないのに、なんか僕的には全然グッとくるものがありませんでした。決して演奏が悪かったわけではなかったのだと思います。僕自身の興味が少しづつ変わっていったのだと思います。
僕にとってのリッチーはやはりディープ・パープル2期の時代なのです。
この時代のリッチーをこの目で見たかった!
いつもこのブログ、内容がロック関係の時は、Facebookの「ハードロック研究会」にシェアしているのですが、今回はしません。
レインボウのファンはあまり気分が良いものではないでしょうから・・・・。