僕の音楽史(38)
レッド・ツェッペリンの映画「狂熱のライブ」が日本で上映されることを夏休み前に新聞で知りました。ただ残念ながら新潟で上映される映画館はありませんでした。いくら人気のロックバンドとは言っても、見る人は限られていて興行的に厳しいからなのでしょう。

「なんとか見る方法はないか?」と考えました。当時は「動くジミー・ペイジ」をほとんど見たことはありませんでした。数年前の「NHKヤングミュージック・ショウ」で一曲だけデビュー当時の映像を見たことはありましたが、当時ビデオ・デッキはまだ一般家庭に普及されてはおりませんから、録画して繰り返し見ていたわけではありませんでしたので、見たことがないといって良いほどでした。
「東京にいる兄のところへ夏休み遊びに行こう!」
これが映画を見るための一番手っ取り早い方法でした。当時、3つ上の兄は東京の駿台予備校で4月から浪人生活を送っていました。早速親に相談してみましたが、予想外の返事が返ってきました。「ダメ!」とのこと。要は「兄の勉強の邪魔はするな!」ってことです。また、僕も一学期の中間テストの成績があまり芳しくないこともあってか、昔と違って両親は僕が音楽をやることに少しづつ良い感情を持たなくなっていました。
それでも、あきらめきれませんでした。そして、色々考えたあげく名案(悪知恵?)が浮かびました。成績が悪いことが東京に遊びに行けない理由のひとつならそれを逆手にとってやれ!と思いました。
父にこう言います。「俺も駿台予備校の夏期講習受けたいんだけど・・・・。中間テストがあまり良くなかったし・・・。」
兄はもともと優秀な人ではありましたが、駿台予備校のたった一学期で信じられないくらい成績が伸びていました。駿台の授業のすばらしさを父から間接的に聞かされていました。そして父は駿台に絶大な信頼を置いていました。そこをうまいこと利用してやれ!と思ったわけです(笑)。
父は思ったより簡単に落ちました(笑)。こうして東京行の切符を手に入れました。夏期講習ですから、夏休みの大半を東京で過ごせるわけで、想像しただけでも眩暈がしそうでした。
もっとも、これからの音楽活動をスムーズに進められるように夏期講習はせっかくだからまじめに受けようとも思いました。親は成績が上がれば何も言わないはずです。そして、俺のせいで兄の成績が下がったら、それこそ大変です。二学期で逆転、名誉挽回するには絶好のチャンスと思いました。ところが、実際に授業が始まったところで、「自分はなんて考えが甘いのだろう」とわかってしまいました。僕の入学した「新潟高校」は一応新潟では一番の受験校ではありましたが、所詮田舎の公立校です。今と違って東京と地方の学力差は随分とあったようで、僕の学力では全国から優秀な学生が集まってきた駿台の夏期講習はレベルが高すぎて、全く授業についていけませんでした・・・・。しかも、楽器を持っていかなかったので、映画を見て、とっとと家に帰りたくなってしまいました(笑)。
次回は「狂熱のライブ」を見た感想を書こうと思います。
