僕の音楽史(23)
僕は今まで人前でギターの演奏をしたことはありませんでした。クラシック・ギターはまだダラダラと続けていましたが、発表会に出たくなかったので、ギターの先生の誘いを毎年執拗に断り続けていました(笑)。夏休みにほとんどひきこもり状態で一所懸命練習したおかげで、随分と上手に弾けるようになりました。エレキギターを弾いていることは、特にみんなにアピールしていたわけではなかったのですが、自然と知れ渡っていきました。
ある時文化祭の実行委員が僕のところにやってきました。
「文化祭でギター弾いてくんない?」
バンドを組んでいたわけではなかったですし、弾き語りなんかできないので、当然断りました。
「手品やダンス、バク転、漫才とか特技や芸がある人を紹介する企画なんだけど、出演する人が少ないので協力してほしい!」
何度も何度も頼まれたので、渋々承諾しました。でも、引き受けたもののエレキ・ギター一本で何ができるだろう?と途方にくれてしまいました。ただ、アドリブでガチャガチャ弾いたってウケるとは思えません。
色々考えて、クリエイションの竹田和夫さんがライブでやっている無伴奏のソロのアイデアを借りることにしました。
クリエイションに「プリティー・スー」という曲があります。スタジオ盤では、この曲の導入部として「トーキング・モジュレーター」を使った無伴奏のソロを数十秒だけ弾いているのですか、ライブでは、もっと長くソロをハードに弾きまくっていました。このアイディアをパクって、それをベースにジェフ・ベックがBBAのライブでやっていた「ジェフズ・ブギー」の無伴奏部分や、ジミー・ペイジの「ハート・ブレイカー」の無伴奏ソロ部分などを自分なりにアレンジして盛り込み、約5分ほどの無伴奏ソロにして演奏しました。



1日で数回演奏しましたが、いつも人だかりができるほど大盛況でした。今でこそ文化祭にバンドなんて当たり前でしょうが、当時中学生でエレキギターなんかを演奏するやつは新潟のような地方都市にはほとんどいませんでした。文化祭は他の学校から、特に女子中学生や女子高生も沢山見に来ていたので、すぐに噂が広まったようでした。この後、半年くらいは、人生の中で一番もてた時期でもありました(笑)。歩いていると手紙をもらったりしましたし、ファンクラブまでできたようでした(笑)。
誘惑も結構多くなったのですが、バンドを組むこともなく、ストイックにギターの練習をしていました。
そして、とうとうあのアルバムが発売されるのです・・・・!
次につづく・・・・。