僕の音楽史(202)
バンドのメンバーを変えようと思いました。理由は2つありました。
一つは他のメンバーが忙しくなり、なかなか集まることができなくなったこと。リハはおろかライブをブッキングをするのが厳しくなってきました。もう一つはパット・マルティーノを見てからはまた管楽器なしのギター・カルテットがやりたくなったことです。
他のメンバー達はもちろん僕のバンド以外にかけ持ちをしていましたし、少しづつ名前が売れて来て僕のバンドとの活動より優先すべき活動も増えてきました。このメンバーで僕のリーダーバンドは3期目だったのですが、何だかんだで一番活動期間が長いバンドになっていました。コンテストにも優勝しましたし、色々なイベントにも参加、もうなんとなくやり終えた感がありましたし、少しマンネリ感が漂ってきたので、潮時と思いました。
吉祥寺西友前での演奏仕事があり、その時ちょうどドラマーの宇山君が参加できなく、トラで久しぶりに西尾さんに叩いてもらいました。西尾さんとはドラマーの西尾研一さんの事で、以前このブログでも紹介した最初の僕のバンドのレギュラーメンバーでした。数年ぶりに叩いてもらいましたが、相変わらず素晴らしい演奏で、新しいバンドは彼とまた一緒に始めることにしました。
今度のバンドはギターカルテットにするつもりでしたので、残りのメンバーはピアノとベースです。ピアニストは第2期阿部義徳君にお願いしました。パットの楽曲のダークなサウンドを出すことと単音中心のソロを展開する僕のスタイルには彼のバッキングがどうしても必要と思いました。声をかけると快く引き受けてくれました。ベースは知り合いがもういませんので、例によってドラマーの西尾さんに一任しました。そこで連れてきたのが辻啓介君でした。
こうして僕の第4期リーダーバンドとなる武田謙治(g)阿部義徳(p)辻啓介(b)西尾研一(ds)の4人が揃いました。僕以外のメンバー3人は皆東工大ジャズ研出身の某有名電機メーカー研究職(?)、理系偏差値高めwのバンドとなりました。そして4人とも言ってみれば「布川さん一派」のメンバーとなりました。
