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僕の音楽史(202)

【1996年】

 バンドのメンバーを変えようと思いました。理由は2つありました。

 一つは他のメンバーが忙しくなり、なかなか集まることができなくなったこと。リハはおろかライブをブッキングをするのが厳しくなってきました。もう一つはパット・マルティーノを見てからはまた管楽器なしのギター・カルテットがやりたくなったことです。

 他のメンバー達はもちろん僕のバンド以外にかけ持ちをしていましたし、少しづつ名前が売れて来て僕のバンドとの活動より優先すべき活動も増えてきました。このメンバーで僕のリーダーバンドは3期目だったのですが、何だかんだで一番活動期間が長いバンドになっていました。コンテストにも優勝しましたし、色々なイベントにも参加、もうなんとなくやり終えた感がありましたし、少しマンネリ感が漂ってきたので、潮時と思いました。

 吉祥寺西友前での演奏仕事があり、その時ちょうどドラマーの宇山君が参加できなく、トラで久しぶりに西尾さんに叩いてもらいました。西尾さんとはドラマーの西尾研一さんの事で、以前このブログでも紹介した最初の僕のバンドのレギュラーメンバーでした。数年ぶりに叩いてもらいましたが、相変わらず素晴らしい演奏で、新しいバンドは彼とまた一緒に始めることにしました。

 今度のバンドはギターカルテットにするつもりでしたので、残りのメンバーはピアノとベースです。ピアニストは第2期阿部義徳君にお願いしました。パットの楽曲のダークなサウンドを出すことと単音中心のソロを展開する僕のスタイルには彼のバッキングがどうしても必要と思いました。声をかけると快く引き受けてくれました。ベースは知り合いがもういませんので、例によってドラマーの西尾さんに一任しました。そこで連れてきたのが辻啓介君でした。

 こうして僕の第4期リーダーバンドとなる武田謙治(g)阿部義徳(p)辻啓介(b)西尾研一(ds)の4人が揃いました。僕以外のメンバー3人は皆東工大ジャズ研出身の某有名電機メーカー研究職(?)、理系偏差値高めwのバンドとなりました。そして4人とも言ってみれば「布川さん一派」のメンバーとなりました。

武田バンド3

 

 

僕の音楽史(201)

【1996年】

 「ヘリテージ・インターナショナル・ジャズ・ギター・コンペティション」の記事をジャズライフで見つけました。「インターナショナル」ってくらいなので、日本で優勝すると世界大会があるようです。もちろん自分のプレイがそんなレベルであるとは思っちゃいませんでしたし、今までコンテストで優勝してきたのはバンド演奏です。どっちかっていうと素晴らしいメンバーのおかげであることも分かっていました。ただ、あわよくば入賞、特別賞みたいなやつに引っ掛かってギターもらえないかななどと邪な考えが浮かびました。審査員を見ると師匠の布川さん、そして布川さんと師弟関係にあった当時絶賛売り出し中だった矢堀さんの2人が審査員でした。矢堀さんは布川さんを通して名前はよく聞いていましたが、当時はまだ面識がありませんでした。

 テープ審査で楽曲を送ることになっていたので、横浜のコンペティション・グランプリの副賞で録音したCDの中から1曲録音して応募しました。多分タイトル曲の「The Great Stream」を録音したと思います。

 審査結果が封書で送られてきました。結果は残念ながら  「落選!」

 ギターがもらえなくて残念でしたが、何の欲もなかったので、大してがっかりではありませんでした。がっかりどころか、布川さん、矢堀さんというグレイトなギタリスト2人の審査員寸評を見て満足でしたw。

 布川さん : もう君はこういうの出すの止めなさい!
 矢堀さん : とにかく上手い。トーンもあまりにそれっぽく、凄い。
        大変素晴らしいプレイ。言うこと無し。良く研究しています。
        恐れ入りました。

 今この手紙を見るとこの時グランプリを取ったのは何とグレイトギタリスト「小沼ようすけ」さんでした。いやー、恐れ多いです。こんな人が応募していたら、入賞なんてできる訳ありませんw。

 布川さんの指示に従って、今後このようなコンテストには一度たりとも応募していませんw。

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音源・動画の部屋(18)

【All The Things You Are】





ギタリスト小泉清人氏との自宅セッション第2弾です。いやー、小泉さん、さすがです。僕は彼の良い練習台ってとこですね。

このセッションを機に「ジャズギター」を再度まじめに取り組んでいく気になりました。コロナでライブも少なめなので、絶好の機会かなと考えています。

がんばります!

小泉&武田

僕の音楽史(200)

【1996年】

 とうとう「僕の音楽史」は200回まで来ました!



 「なんだ、なんだ??え、ま、まじかよ!」

 客席の至る所でどよめきが起きています。それは「伝説のジャズギタリスト」が真っ赤の奇妙な形をしたソリッド・ギターを持って登場したからでした。もう卒倒しそうでしたw。

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 上の写真のギターはパーカー製のギターで、革新的な発想と独特な構造、そして奇抜な形状で当時は話題になったギターで、僕もテレビで何回か見たことはありました。このようなギターを持ってくるなんて誰も予想しなかったと思います。雑誌やビデオでの直近の彼の楽器は全て下の写真のエイブ・リヴェラによるハンド・メイド・ギターだったので、多分この楽器を使うんだろうなと思っていましたし、会場のファンも皆そう思っていたでしょう。彼自身は「どうだい?びっくりしたろう!」そんな表情に見えました。

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 パットがこのパーカーの楽器を使ったのは多分この日本ツアーとその後短い間だけのようで、もしかしたら軽量というところが理由の一つだったのかもしれません。ただ、しっかりと彼仕様に改造が加えられていて、後でわかったことですが、ネックは1弦015からの極太セットを張ることから太く作られており、トレモロ・ユニットやマスターボリュームを取り外してるとのことです。

 ステージに登場し、軽くチューニングのためにボンと弾いた、その5弦の開放A音で僕はもう気絶してしまいそうでしたw。ソリッド・ギターで、ジャズコーラス直結とは思えない極太の音です。そして、ビデオで聞いたそのまんまの低い声(当たり前かw)で1曲めのカウントでバンド4人が音を出した瞬間にもう感動のあまり胸が苦しくなりました。

 曲は「The Maker」「Interchange」「Nightwings」の3枚のアルバムを中心に3日感とも演奏されていましたが、曲順は毎夜少しづつ変えられていました。数分程度でしたが、ソロ・ギターでのプレーも聴くことができました。

 どの日もコンサートがクライマックスに近づくと「The Great Stream」が演奏されました。彼の楽曲でも1番の人気曲で、テーマが始まった瞬間、会場からどよめきが起こります。レコードのテイク以上にドラムスとのバースを加え、延々と繰り広げられる音の洪水に完全に飲み込まれてしまいました。

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 女性客はほとんどおらず、コアなギターファンばかりの感じで、パットが曲のブレイクで速いパッセージを弾くと、いちいち客席が盛り上がるといったまるでジャスのライブとは程遠い異様な雰囲気でした。
 
 ピアノ、ベース、ドラムスは比較的若いメンバーで、勢いがありましたが、正直パットの存在感、オーラの前にはどうでも良い存在でした(すみません!)。

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 演奏と関係ないことでひとつ、5歳の長男を連れて行った時のことです。僕らは前から3列目くらいのど真ん中に座っていました。パットは2〜3曲目の演奏途中に長男に気が付いたようで、ちょっとびっくりした様子で僕らの方を見ました。比較的年齢層が高い客席で5歳の子供はやはり目立つのでしょうw。そして、バッキングをしながら少し微笑み返してくれた様な気がしてとても嬉しかったことを覚えています。

 この3日間のライブは、僕にとって人生のうちで最高の音楽体験だったと思います。そして、その後度々来日するパットですが、この日のライブを超えるものは残念ながら僕的にはありません。もっとも初来日という状況もあったのかもしれませんが。

 

音源・動画の部屋(17)

【Someday My Prince Will Come】



 久しぶりの動画のアップ、ギタリスト小泉清人さんと僕の自宅でのセッションです。

 彼はウェスの研究家としても有名で、かつて教則ビデオや著書もあり、エレキのプレイはまさにウェス!僕のインチキマルティーノとは訳が違う。本当素晴らしいし、随分と刺激を受けました。

 自宅での遊びセッションなので、イントロのルバートでは2人の会話が入っています。

 「前、3拍子が上手く弾けないって言ってなかったっけ?」

 「はい。今でも上手く弾けませんw」

 彼のフレーズは素晴らしく歌っています。単音⇒オクターブ⇒コードソロと展開するウエス直系のプレイ、久しぶりに本物のジャズギターを肌で感じることのできた一日でした。

 とても刺激になりました。頑張って練習しようと思います。

小泉&武田


僕の音楽史(199)

【1996年】

 パット・マルティーノの健康状態の悪化は一時的なものだったようで、4ヶ月後の96年3月、思ったより早く来日公演は実現しました。

 日にちはもちろん記憶はなかったのですが、来日公演時のジャズライフ特集記事の切り抜きを見ると、東京公演は3月7・8・9日の3日間だったようです。場所は当初と一緒で渋谷のON AIR EASTです。もちろん全公演チケットを買っていました。1日目はひとりで、2日目はかみさんと5歳の長男と3人で、そして3日目は当時のバンド仲間宇山くんを誘って見に行きました。

 とにかく、僕にとってパットはレコードやビデオの中の人、目の前でギターを弾いている姿が見れるだけで、もう僕は満足でした。レコードを擦り切れるまで聴き、コピーし、そんな人が数メートル先に存在する、もうそれだけで涙がこみ上げてくるわけです。

 演奏が始まる前にステージ上の機材を確認します。何とジャズ・ギタリストがもっとも苦手とするJC-120が1台置いてあるだけ、足元には何一つありません。「JC-120に直結か!」まさにシンプルの極みでした。

 演奏時間が近づくに連れ、こんな思いが込み上げてきました。「病に倒れ、記憶を無くし、血の滲むようなリハビリを経て復活、全盛時代の演奏なんて望まない、無理しないでリラックスして演奏をしてほしい」と。そんな僕の気持ちは1曲目のほんの数秒で吹っ飛ぶこととなるのです。そこにいた彼は「全盛期の彼そのもの」でした。

 会場が暗くなり、他のメンバーが先に出てきます。その後、ギターを抱えて彼が登場します。割れんばかりの拍手に会場は包まれます。僕ももう手が痛くなるくらい拍手しましたw。数秒後に、いたるところで何故かどよめきが起こります。

 「なんだ、なんだ??え、ま、まじかよ!」

 どよめきの理由がわかりました。彼が抱えてるギターです。なんと「伝説のジャズギタリスト」が真っ赤の奇妙な形をしたソリッド・ギターを持って登場したからでした。もう卒倒しそうでしたw。

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僕の音楽史(198)

【1995年】

 何とパット・マルティーノが来日するというニュースが飛び込んできました。

 先に結論から言ってしまうと、この写真の時は健康状態が優れないということで来日延期となり、翌年3月に実現することになるのですが、この来日決定時の頃の話から翌年の初来日公演のことを思い出しながら書こうと思います。

 どこでこのニュースを聞きつけたかは覚えていませんが、多分定期購読していたジャズライフか何かで見たのだと思います。何回かこのブログにも書いていますが、僕にとって彼は「神」なわけですから、「来日」ではなく「降臨」ですw。そして、「ライブを聴きに行く」のではなく「参拝に行く」ということになります。何処かの誰かがロックギタリストを称して「ロック・ギタリストは2種類いる。ジェフ・ベックとそれ以外だ」と言っていましたが、僕にとっては「ジャズ・ギタリストは2種類いる。パット・マルティーノとそれ以外だ」、まあ、こんな存在なわけですw。

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 当然東京公演は3日間ともチケットを買いました。場所も渋谷ということで自宅から近いですし、できることなら地方まで追っかけて全部行きたいくらいでした。初日はカミさんと5歳の長男、2日目は一人で、3日目は当時バンドで一緒だったドラムの宇山君と行く予定にしてました。

 この当時は教則ビデオ「クリエイティブ・フォース」やCD「Interchange」そして日本のパドル・ホウィール・レーベルと契約し発売された「The Maker」などで直近の演奏を聴くことができ、全盛期に近いところまで回復していたプレイにハマっていたので、もうコンサートが待ちどうしくて仕方がありませんでした。

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 冒頭に書いたように、11月のコンサートは延期になるのですが、当日現地に行くまで延期になったことを知りませんでした。事前に告知があったのでしょうが、まだまだネット社会ではありませんでしたので、僕の耳には全く届いてきていませんでした。

 コンサートの当日の朝、治療中の歯がむちゃくちゃ痛くなりましたw。とてもコンサートどころではありません。歯根の治療をしていた歯がひどく痛み、歯茎が異常に腫れてしまいました。慌てて歯医者に行き「今日は大事なコンサートに行くので、痛みだけでもとってください!」と無理言った覚えがありますw。歯茎を切開し、膿を放出されると、スーと痛みが嘘のようになくなりました(結局この歯は後日抜歯することになりましたがw)。

 夕方、かみさんと5歳の子供を連れて渋谷に出かけました。そして、現地の渋谷ON AIR EASTに到着し、壁に貼ってあった掲出物で延期を知り、こう思いました。

 「とても心配だ...。また病気で活動中止にならなきゃ良いが。」

 その後、健康状態が優れなかったのは一時的なことのようで、4ヶ月後の96年3月に来日公演は実現しました。
プロフィール

武田 謙治

Author:武田 謙治
1962年生まれ 新潟県出身
小4よりクラシックギターを始める。
中学~高校時代はロック、フュージョンに傾倒。
慶應義塾大学入学と同時に、慶應ライトミュージックソサェティに所属し、ジャズの演奏を始める。
卒業後は、働きながら音楽活動を継続し、ジャズギタリスト布川俊樹氏に4年間師事。その後、自己のバンドで各種コンテストに参加する。
【主な受賞歴】
浅草JAZZコンテスト グランプリ受賞
吉祥寺JAZZコンテスト グランプリ受賞
横浜JAZZプロムナード '94 コンペティショングランプリ受賞 横浜市民賞受賞
キングレコード「日本ジャズ維新塾」 グランプリ受賞 岡安芳明賞受賞
 
1990年代は精力的に活動をしていたが、2000年に入り、十数年の間活動休止。その後は2014年夏より活動を再開。
現在は、都内を中心に、「日本一ギターのうまいサラリーマン」を目標にライブや講師として活動中。


【ギター教えます】
 僕は有名ミュージシャンではないですが、ずっと独学でやってきて「ジャズのアドリブが全くできない」とか「そこそこ弾けるようにはなったが、なんかジャズっぽくないなー」など、自分のギター・プレイに不満な方や伸び悩んでいる方の気持ちは一番わかっているつもりですし、そんな方達の手助けができるかなーと感じています。また、このブログで連載している「Pat Martino奏法研究」等について「もっと詳しく教えてほしい!」とか「一週間に一回ペースの小出しでなく、時間をかけてじっくり教えてほしい」みたいな人にも力になれるかな?と思ってます。

 東京都杉並区に住んでいますので、通える方は僕の自宅、遠方の方や通うのは大変という方にはリモートでも教えています。レッスン内容や頻度は生徒の方々の希望に合わせて決めています。

 興味のある方はメールやメッセージ、もしくはブログのコメント送信等どんなやり方でも良いのでご連絡くだされば詳細をお伝えいたします。

 それではお待ちしています!!

Mail : rymk.takeda@gmail.com

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