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ギター購入騒動記(133)

2020年10月25日(日)試奏のためにギタプラへ!

 さすがに購買意欲もなくなっていますがw、いやいや、正確にいうと「考えないようにしている」「購買意欲があったところで先立つ物がない」というか、このところ楽器屋巡りはご無沙汰はしていました。でも、ネットでの楽器探索は相変わらずやっております。ネットでギタプラにちょっと気になる楽器が入荷したのを知って、久しぶりに試奏目的で遊びに行きました。

 行く前にいつものSさんにメッセージを送っておきました。簡単に挨拶を交わした後に早速試奏させてもらいます。ブツは下の写真の楽器、96年製ES-165(ハーブ・エリス・モデル)です。

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 この楽器は僕の175買いまくりの過程で、幾度となく候補に上がっては消えた楽器です。値段的に若干175より安いのですが、基本ハーブエリスが使っていた175をベースに制作された楽器ということなので、175と考えて良いと思います。フローティングピックアップのブツも存在して、それは以前新大久保の楽器屋で弾いたことがあったのですが、このタイプは初めてです。

 この楽器、ネックも太く、比較的重くずっしりした感じ、僕の持っている775に近い感じです。特に最近は、ネックの細く、重量の軽いビンテージ175を弾くことの多かったので、そう感じるのでしょう。ボディの表面は綺麗です。裏面に多少傷がありますが、僕的には全く気になりません。音については、今回はしっかりと動画に撮ってきましたので、お聴きになってみてください。アンプ音を比較的絞って生音と一緒に楽しめる感じになっています。箱鳴りもしっかりと体に感じることが出来て、まさに王道のサウンドと思います。お金があったら即買いですが、残念ですが、今は厳しいです。でも、わかりませんw。



 もう一本、写真の175も試奏させてもらいました。Menphisの2005製ナチュラル175です。これもネックがかなり太いブツでした。負けず劣らず良い音です。これも試奏時の動画をどうぞきいてみてください。

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 ただ試奏に行っただけにつもりが、またまた購買意欲がふつふつと湧き上がってきたので、逃げるようにその場を後にしました。

 ES-165、とても気になりますw。

 


僕の音楽史(197)

【1995年】

 CDを製作したこともあって、積極的に活動の幅を広げてCDを売りさばこうと思いましたが、僕は働いていましたし、他のメンバーも他のバンドとの掛け持ちでしたので、活動拠点もあまり広げることができませんでした。横浜ジャズプロムナードのコンペでグランプリを獲ったのですから、横浜にあるいろいろなジャズクラブで演奏をすることもできたのかもしれませんが、何せ杉並に住んでいて、会社帰りのライブではとても無理でした。ツアーなんかも企画して盛り上げていこうとも思いましたが、スケジュールがなかなか合わずに結局は実現できませんでした。

 そんな中で、イベントとしては「旭ジャズまつり」に出演しました。
 
 2月にバレンタイン・コンサート、そして7月には野外コンサートと2度にわたり行われ、いずれも「田村美沙」さんという女性ボーカルとのコラボでした。

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 彼女は未だ現役で活躍するジャズ・ボーカリストですが、当時は絶賛売り出し中の若手女性ボーカリスト、横浜生まれの横浜育ち、インターナショナル・ハイスクールで学び、中学くらいからジャズ・ボーカルを学ぶといった経歴の持ち主で、すでに有名ミュージシャンと活動をしていました。横浜コンペティションでグランプリを獲った僕らに旭ジャズまつりの実行委員が目をつけ、コラボの話を持ってきたのだと思います。

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 約半年間ほどリハやライブで活動をともにしました。ギターの活躍の場はあまりなかったですし、歌伴の実力は持ち合わせておりませんでしたが、綺麗でスタイルの良い女性のバックで演奏できたのは楽しいものでしたし、大体、歌もダイナミックレンジが広く、何てったって英語の発音がとても綺麗で素晴らしかったです。こんな時に大学時代にビッグバンドの経験していたことで随分と助けられました。相変わらず譜面は読めませんでしたがw。

僕の音楽史(196)

【1994年~95年】

 コンペティションの副賞として制作したCDレコーディングは12月に横浜ランドマークタワー内にあるスタジオで行われました。機材や設備は凄いものだったと思いますが、その辺に疎い僕には全く評価のしようがありませんでした。何てったってワンポイント・ステレオ・マイクのカセットデンスケの生録で満足しているような人間でしたのでw。

 僕以外のメンバーはまだ駆け出しのミュージシャンでしたが、もうレコーディングは何回か経験しているので、新たなレコーディングの機会を純粋に楽しんでいるようでしたが、僕の気持ちは全く違っていました。当然のことながらレコーディングは全く初めてですし、バンド・リーダーである事で、音楽以外の案件について沢山のスタッフから色々な事を話されたり、ジャッジを求められたりと当日を含めて全く気が休まらず音楽に集中できませんでした。

 一番困ったのは、「ブースに一人入り、自分の楽器の音をヘッドホーンで聴く」。これに最後まで違和感を覚え、慣れることができませんでした。今まではライブで自分の楽器の音やバンドの音を身体で感じてきました。心地よい体感、あれがないまま演奏をするのは厳しいものでした。

 全ては言い訳なのはわかっています。どれもこれもすべて実力のなさから来ているものですし、今だったらもっと上手くやれたのだと思います。当時はミュージシャンとしてもそうですし、会社でもまだぺーぺーでしたからw、統率力というものがまるでなく、リーダーとして失格でした。

 一日で予定の曲を2テイク録音し、年明け1月のミックスダウンを経て出来上がったCDは写真のもの。以前お話ししたように、事情があって顔写真は出せませんので、中身だけw

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 何百枚かプレスし、メンバー5人で分けてそれぞれが手売りでさばいたのですが、僕自身は全く演奏に満足できなかったので、あまり配っておらず、いまだに在庫は残ってますし、ほとんど聴く気が起きません。とても残念です。

そうは言ってもCDの中から一曲だけアップしておきますので聴いてみてください。
 
武田謙治グループ
Recorded At Landmark Studio(December 3 1994)
The Good Life

↓↓↓


テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

僕の音楽史(195)

【1994年】

 94年の暮れには横浜のコンペティションでグランプリを取った副賞として、CD制作のレコーディングがありました。今の時代は自宅録音でもクオリティの高い作品が制作できると思います。そんな時代に比べ当時のミュージシャン達はそもそもCD制作ということに対する思いは今よりも大きかったと思いますし、僕もその一人でした。

 年末忙しい中で「ジャケットはどうする」「写真はどれにする」など色々と決めなくてはいけないことがたくさんありました。もちろん副賞ということですので、レコード会社と契約して「ファースト・アルバム・リリース!」とは違います。ジャケットも雛形が決まっていて、その中から選択、写真もモノクロなどなど色々制約事項がありましたが、それでも僕自身は満足でした。ただ、季節柄で仕事も大変忙しかったので、あまりギターの練習に集中できなかったように思います。

 録音に向けてのリハーサルは1回だけ東工大の部室で行なったように思います。その時ライブで演奏していた曲ばかりを選んで録音するつもりでしたので、エンディングの確認を簡単に行なっただけと思います。

 収録曲は以下の10曲でした。どれも有名なミュージシャンの楽曲やスタンダードばかりです。

 Monday Blues / The Great Stream / Up Jumped Spring / The Good Life / Nothing Personal / Listen /Old Folks /Softly,As In a Morning Sunrise / My Romance / One Finger Snap

 このCD制作についてひとつだけ自分で決めていたことがあります。アルバムのタイトルは「The Great Stream」にしようと思っていました。マルティーノの70年代の作品で、1番の人気曲です。このバンドでももちろん演奏していましたし、いまだに僕は自分のバンドで演奏し続けている曲です。「彼に捧げる」なんて大げさに考えていたわけではありませんが、やはり尊敬するギタリスト、僕的には神でありましたので、これだけは譲れないなと思いました。他のメンバーはそれに対しては尊重してくれました。

 次回はレコーディングの時のことを思い出しながら書いてみようと思います。

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テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

僕の音楽史(194)

【1994年】

 当時僕のバンドの主な活動拠点は新宿Jと千歳烏山J-moodの二箇所でした。あとは2年間にわたり4つのコンテストで優勝したこともあって、イベント系の仕事が不定期に入っていましたので、月に2〜3本ほどの演奏機会がありました。メンバーは当然バンドを掛け持ちしていましたし、僕も働いていましたのでそのくらいのペースがちょうど良い感じでした。

 日本ジャズ維新塾に出場し、審査員であったギタリストの岡安芳明から個人賞もいただいたこともあって、「こんどライブに遊びに行きます!」なんて話していましたので、雑誌でスケジュールを確認して早速ライブを見に行くことにしました。

 ギタリスト岡安芳明さんについてはあえてこの場で説明は不要と思いますが、僕とのこれまでの関わりを簡単に書いておきます。

 大学を卒業したくらいの頃テレビで彼の演奏を聴く機会があり、一発で好きになりました。当時はジョージ・ベンソン・モデルを所有していて、プレイも正にジョージ・ベンソンでした。その後、カミさんと新宿ピットインの昼の部を聴きに行きました。一曲目に「シークレット・ラブ」をB♭ペダルで演奏していて、自分のバンドでもアイディアをパクって演奏したりもしていましたw。アルバムはジャズ維新塾の課題曲を確認するために「ミッドナイト・グルーブ」を購入していました。

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 目黒SONOKAにライブを見に行きました。この頃はL-5&ポリトーンで素晴らしいトーンでスタンダード中心にプレイしていました。メンバーはピアノが椎名豊さん、ドラムとベースは誰だったかはっきりとは覚えていません。テナーに安保徹さんもいたと思います。

 ファーストとセカンドのステージの合間にご挨拶しました。岡安さんは僕のことを覚えていてくれました。コンテストの時の話や最近の活動のことなどを話しました。

 セカンド・セットの演奏で「リズマニング」の演奏が始まりました。岡安さんが最初にソロをとった後、いきなりギターのストラップを外して僕に微笑みながら「こっちに来い」と手招きします。少し躊躇しましたがそんな時間的余裕もありませんw。すかさずステージに行って岡安さんの名機L-5を肩に下げソロに突入しました。正直自分の音がよく聴こえなかったのですが、循環なのでなんとかなりました。一応お客様から拍手ももらえました。そして、岡安さんにギターを返して、席に戻りました。

 ライブが終わった後にピアニスト椎名さんが気さくに話しかけてきました。

 「岡安にしては随分と過激にアウトしてきたなと思ったら君だったのかw」

 SONOKAはステージが狭く、ピアノはアップライトで壁面に設置しており、ピアニストは客席に背を向けて弾いているので、僕と岡安さんの交代劇のことを知らなかったようですw。

 客席にキングレコードのプロデューサーとおっしゃる方がいて「高田馬場にホットハウスという小さな店がオープンするから出演しない?トリオくらいが限界だけど・・・」と声をかけていただいたのですが、トリオでやる自信がまだなかったので、一旦はお断りしました。少し後で後悔しましたが。

 岡安さんは自宅でレッスンを行なっているとのことでしたので、体験に伺う約束をしました。

テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

僕の音楽史(193)

【1994年】

 何日か経ってからキングレコードから封書が届きました。申し込んでおいた「日本ジャズ維新塾」一次審査合格のお知らせでした。
 
 二次審査(本選)は10月16日、横浜のコンペティションの約1週間後ということで、あまり日がありませんでした。課題曲があったので、一回はリハが必要と思いました。どこかのスタジオで2時間ほどやったと思います。

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 課題曲は審査員でもあった大坂昌彦さん(ds)と岡安芳明さん(g)のオリジナル曲のうちいずれかでした。ギタリスト岡安さんの課題曲はB♭のブルースでしたので、日にちもないですし、ブルースだったら解釈もクソもないので迷わずこの曲に決めました。ただ、リハで色々なテンポで演奏してみて、オリジナルのミディアム・ファーストのテンポではなく少しスローなテンポで演奏しようということにしました。これなら8分音符中心の演奏ではなく、倍テンポ16分音符でマルティーノ風に弾けるので、自分の一番得意な演奏ができるので良いと思いました。また、自由曲はいつものレパートリーからハンコックの「One Finger Snap」にすることにしました。

 本選は銀座山野楽器7階ホールでした。どんな人たちが本選で演奏したかは全く記憶にありませんが、前週の横浜コンペティションでグランプリ&横浜市民賞を獲得していたこともあって、なんか負ける気はしていなかったと思いますw。演奏自体も演奏直後のコメントもあまり記憶にはありませんが、唯一印象に残っているのは、岡安さんオリジナル・ブルースのギターソロで僕がコード・ソロを弾き終わった時に、岡安さんがとても嬉しそうに拍手をしてくれたことでした。「貰った!」と思いましたw。

 全バンドの演奏終了後の審査発表です。僕らのバンドは優勝でした。そして僕は個人賞の「岡安芳明賞」を貰いました。

 岡安さんが好評のコメントで、すごく印象深いことを言ってくた記憶は残っています。この言葉はすごくよく覚えています。

 「最近のギタリストはみんな上手い。でも、どいつもみんな『ギター・ジャズ』やってるんだよね。でも、武田君は違った。『ギター・ジャズ』じゃなくて『ジャズ・ギター』を弾いていたね。これが優勝、そして個人賞の理由だよ」

 その時ははっきりした意味がわからなかったのですが、僕はこういう風に理解しました。


 「ギター・ジャズ」てのはまずはギターありき。ギターの技術を聴いてもらう題材として「ジャズ」を演奏する。

 「ジャズ・ギター」はまずはジャズを愛し「ジャズ」を聴いてもらう手段として「ギター」を使う。 

 岡安さんに正確な意味を問いただしたわけではありませんが、この解釈が本当だとすると最高の賛辞だと感じます。

 当日はジャズライフの取材が入って、次月号で紹介されたりしましたし、トロフィーなどもいただいたりしたのですが、資料や証拠品はなぜかこのコンテストのものだけ行方不明になってしまっています。

 これで93〜94年の2年間で浅草、吉祥寺、横浜ジャズプロムナード、そして日本ジャズ維新塾の4つのジャズ・コンテストでグランプリを獲得するという「グランドスラム」を成し遂げたのです。
  ※自慢話ですみませんw

 

テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

僕の音楽史(192)

【1994年】

 そして表彰式です。僕たちのバンドは「グランプリ」を獲得!そして、それだけでなく「横浜市民賞」までも獲ってしまうという2冠という快挙を成し遂げてしまったのでした!!

 表彰の後、楽屋でメンバーと喜びを分かち合っていると関係者の方が採点表の束を持ってやって来ました。

 「武田さん、おめでとうございます!これ採点表です。圧倒的大差でしたよ。審査員のミュージシャンや一般審査員の方々がコメント書いてくれているから参考にして」

 みんなその場でガサガサとコメントを走り読みし、一喜一憂していきました。

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 みんなアドバイスや感想をしっかりと書いてくれていて、今後の音楽活動の励みになりました。そして、僕は練習に行き詰まると、この採点表を持ち出して来て今でも眺めてしまうことまであります。僕にとって大切な宝となりました。

 審査員ミュージシャンの主なコメントはこんな感じでした。

・アンサンブルも良いし、各々のテクニックも素晴らしい。
・すごく上手いんだが、お勉強バンドに聴こえる。テープ審査のテイクは良い感じだったのに。
・あと一発足らない。上手いだけに困るな。
・みんな上手いしエネルギッシュで良い
・ブルース、曲はGood。ソロが替わったら2Beatにするとか飽きない工夫が欲しかった。

 そして、会場審査員は概ねこんな感じでした。50名以上の方が皆さんしっかり書いてくれていました。
 
・スィングしてノリに乗ってる。パワフルなプレイに魅力いっぱい。
・ギター良かったよ、メロディックなラインがいい。
・みんなすごく元気で本当に良い演奏だと思います。もっと聴きたくなりました。
・荒削りだけどリズム感溢れた元気な演奏だったと思います。
・演奏に華があったと思います。
・素人ぽさがなく舞台慣れしてるし、安心して聴ける。5人ともバランスが取れています。
・舞台度胸があり、視覚的にもGoodでした。
・健康的で暗さがないミュージシャンの集まりに見えました。
・完成度は高いのですが、世界に引き込んでしまうような何かが足りない気がしました。

 ざっと眺めてみると、プロのミュージシャンも一般審査員もみんな同じことを言っているようですね。要するに

「上手いのだが、何かが足りない」

 そして、僕は今だにこう言われ続けていますw。

 こうして、メンバーは変わったとはいえ、昨年度3位だったリベンジを果たすこととなり、副賞としてのレコーディングを勝ち取ることとなりました。

 何日か経ってからキングレコードから封書が届きました。申し込んでおいた「日本ジャズ維新塾」一次審査合格のお知らせでした。

 
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テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

プロフィール

武田 謙治

Author:武田 謙治
1962年生まれ 新潟県出身
小4よりクラシックギターを始める。
中学~高校時代はロック、フュージョンに傾倒。
慶應義塾大学入学と同時に、慶應ライトミュージックソサェティに所属し、ジャズの演奏を始める。
卒業後は、働きながら音楽活動を継続し、ジャズギタリスト布川俊樹氏に4年間師事。その後、自己のバンドで各種コンテストに参加する。
【主な受賞歴】
浅草JAZZコンテスト グランプリ受賞
吉祥寺JAZZコンテスト グランプリ受賞
横浜JAZZプロムナード '94 コンペティショングランプリ受賞 横浜市民賞受賞
キングレコード「日本ジャズ維新塾」 グランプリ受賞 岡安芳明賞受賞
 
1990年代は精力的に活動をしていたが、2000年に入り、十数年の間活動休止。その後は2014年夏より活動を再開。
現在は、都内を中心に、「日本一ギターのうまいサラリーマン」を目標にライブや講師として活動中。


【ギター教えます】
 僕は有名ミュージシャンではないですが、ずっと独学でやってきて「ジャズのアドリブが全くできない」とか「そこそこ弾けるようにはなったが、なんかジャズっぽくないなー」など、自分のギター・プレイに不満な方や伸び悩んでいる方の気持ちは一番わかっているつもりですし、そんな方達の手助けができるかなーと感じています。また、このブログで連載している「Pat Martino奏法研究」等について「もっと詳しく教えてほしい!」とか「一週間に一回ペースの小出しでなく、時間をかけてじっくり教えてほしい」みたいな人にも力になれるかな?と思ってます。

 東京都杉並区に住んでいますので、通える方は僕の自宅、遠方の方や通うのは大変という方にはリモートでも教えています。レッスン内容や頻度は生徒の方々の希望に合わせて決めています。

 興味のある方はメールやメッセージ、もしくはブログのコメント送信等どんなやり方でも良いのでご連絡くだされば詳細をお伝えいたします。

 それではお待ちしています!!

Mail : rymk.takeda@gmail.com

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