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僕の音楽史(165)

【1993年】

 3月20日(日)「浅草アマチュアJAZZコンテスト」の当日になりました。会場は浅草公会堂ホールでした。最初に心配だったのは、コンテストに無関心なメンバー達がちゃんと時間通り集まるか?でしたw。

 会場が昼過ぎてからということもあって、流石にメンバーはちゃんと揃いました。そんな僕も、当日のパンフレットを見て初めて【ボーカル部門】と【バンド部門】に分かれていることを知ったくらいですから、人のことを無関心なんて言えません。

 パンフレットを見て吹き出してしまいました。メンバーの写真、ドラムの宇山君はなぜか上半身裸ですし、ベーシストは別の人間が写っています。事務局へ送る写真をリハ終了時に写したのですが、荻原さんが帰ってしまった後だったので、しょうがなく部室にいた部員に声をかけて一緒に入ってもらったのを思い出しましたw。

 僕らのバンド紹介にこんなことが書いてあります。

「正確無比なテクニック。溢れるごとく湧き出るフレーズ。完璧な我々の演奏をお楽しみください!」

 随分と傲慢でおもいあがったコメントですw。これは応募の際に紹介コメントの記入の必要があり、文章が全く浮かばなかったので、レコード棚からパット・マルティーノのレコードを何枚か取り出して、そのレコード帯に書かれたフレーズを適当にアレンジして書いておいたものです。自ら随分とハードルを上げちまったなと思いました。穴があったら入りたいと感じましたw。

 リハーサルが少しだけありました。「All The Things You Are」を演奏しました。普段は部室の狭い空間で演奏しているので、このようなホールでの演奏は非常にやりづらかったように記憶しています。また、ギターアンプも確かジャズ・コーラスで、普段ポリトーンを使っている僕には強力な違和感でした。持って来ればよかったと後悔しました。 

 普段僕のライブなんて見に来ることのないカミさんが、3歳の子供を連れて見にきました。彼女の関心ごとは僕らの演奏ではなく、グランプリ獲得での賞品「オーストラリア演奏旅行」でした。後で知ったことですが、この時から既にバンドが優勝したら便乗して自分もオーストラリア旅行を楽しもうと考えていたようでしたw。

 先にボーカル部門の演奏の後、僕らの演奏はバンド部門の後半だったと思います。

 他のバンド演奏はあまり真剣に聴かないほうがいいなと思っていましたが、楽屋にいるは暇なので、数バンドの演奏は聴きました。演奏の後に2人くらいの審査員がコメントを話します。審査員は皆現役のジャズ・ミュージシャンですので、思った以上に辛口コメントが多かったように思います。詳細はもちろん覚えてはいませんが、演奏が素晴らしいと感じたバンドに対するコメントを聞いて、ピアノの阿部君が「あの演奏でこんなこと言われるなら、僕らの演奏なんてボロクソ言われますね。全然わかっちゃいないいんじゃないですかね?」なんて呟いたのを記憶しています。

 そして、僕らの演奏の順番が回ってきました。

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僕の音楽史(164)

【1993年】

 テープを送った後、約10日ほどでめでたく予選通過の連絡を電話で受けました。そして、その後郵送で通知が届きました。

 「浅草アマチュアJAZZコンテスト」の本戦で演奏ができることが決まったのですが、もともと「人前で演奏する機会を持ちたい」「ライブ活動を始めるきっかけが欲しい」が大きな目的だったので、後になって色々と詳細がわかって少し欲が出てきました。

 グランプリを獲得するとオーストラリア演奏旅行招待という素晴らしい副賞がありました。主催の台東区の姉妹都市がオーストラリアのマンリー市ということで、マンリー・シャズフェスティバルに出演ができるということを後になって知りました。

 ジャズ評論家の本多俊夫さん、シャープ&フラッツの原信夫さんほか有名ミュージシャンが審査員であることも後になって知りました。とりわけ僕が気になったのは審査員の中にギタリストの沢田駿吾さんがいたことでした。
 
 沢田駿吾さんについては大学時代に何枚かレコードを購入していて、既に聴いたことはありましたし、当時ルーツ音楽院の学長(?)を務めておられて、そこが発売していたカセット付きのギター教本で学習していたこともありました。このような日本を代表する王道ジャズ・ギタリストに僕のギター演奏を聴いてもらうのはもちろん初めての事でしたし、どう評価していただけるかもとても心配でした。

 本戦大会は3月20日(日)という事で、あまりリハの時間もありません。当日は1曲のみの演奏です。まだレパートリーも多くないのと、応募テープに収録した曲がよかろうということもあって、パット・マルティーノ「The Great Stream」を演奏することに決めました。

 相変わらず僕以外のメンバーは無関心でしたね。

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僕の音楽史(163)

【1993年】

 リハーサルを何回か行なったくらいの頃に、雑誌の広告で「第12回浅草アマチュアJAZZコンテスト」の出場場募集(デモ・テープの受付)の広告を見つけます。

 「テープ送ってみようかな...。」

 実は昨年の初代バンドの時も応募していました。この時は応募テープに使うために録音までしたのですが、録音に失敗し(マイクの位置が悪くピアノの音が極端に小さくなってしまった)、使い物になりませんでした。しょうがないので、ウオークマンで録音したテープをやっつけで送ったのですが、締め切りギリギリだったこと、そして何の返事もなかったってことを考えると、もしかしたら〆切に間に合わなかったのかもしれません。いずれにしても、当時はバンドやり始めたばかりで欲もありませんでしたし、本戦に出演できなかったことは何も気に留めてはいませんでした。

 今回はバンドを始めて2年目ですし、新しいメンバーになって手応えをつかみかけて来たので、少なくとも本戦には残りたいなと思いました。

 他のメンバーにコンテストのことを相談するとあんまり関心がないようでしたが(笑)、嫌とは言いませんでしたので、ある1日のリハーサルをカセット・デンスケで録音し、その中から僕が独断でセレクトして期日に間に合うようテープを送りました。

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 上のチラシを見ると応募曲は2曲だったようです。1曲はパット・マルティーノの代表曲とも言うべき「The Great Stream」だったのですが、もう1曲の方は残念ながら覚えていません。「The Great Stream」については記憶が正しければ下のテイクを送ったと思います。



 テープを送った後、約10日ほどでめでたく予選通過の連絡を電話で受けました。そして、その後郵送で通知が届きました。

僕の音楽史(162)

【1993年】

 4人でのリハーサルを開始しました。一応は僕のリーダーバンドということもあって、最初はスタンダードを中心に僕がリハの曲を決めていました。となると、最初はやはりメセニーやマルティーノの愛想曲が中心となります。

 やはりこの曲は外せないだろうってことで、マルティーノ「The Great Stream」を真っ先にリハをしました。

 バンドの音源は次回以降に紹介するとして、同じ曲を演奏してもメンバーが変わると随分と曲のイメージが変わるものだなと思いました。

 初代のバンドはとにかく突っ走っていましたw。テクニック志向だったかもしれませんね。僕自身バンド活動が初めてのこともあって、あまり周りの音を聞く余裕もなかったのかもしれません。とにかく早い曲ばかりやっていましたし、みんな演奏を楽しんでいましたが、あまりあーだこーだ言い合う機会もなかったと記憶しています。そして僕と西尾さんのカラーが強かったと思います。もちろん、それが売りだったのかもしれませんが。

 一方、このバンドの音は最初から4人のバランスが随分取れていた気がしますし、僕以外の3人のインタープレイがとてもスリリングでした。そして、荻原さんと宇山君のドラムのコンビネーションがとても良かったと思います。荻原さんのベースはとても音楽的(?)で、単調にラインを4拍弾くだけではなく、リズムの崩しがかっこよかったですし、ペダル音も効果的で、実にすばらしいものでした。宇山君のドラムはとにかくハイハットの切れ味が抜群で、4ビートのレガート時の「ハイハット4拍踏み」は最高に気持ちよかったですし、スティックを長く持つ感じの演奏スタイルもかっこいいものでした。そんな中で阿部君のピアノはいつも素晴らしい「躍動感」と「うねり」をバンドに与えてくれていました。そして、ソロプレイだけでなくバッキングが強力でした。

 リハーサルを何回か行なったくらいの頃に、雑誌の広告で「第12回浅草アマチュアJAZZコンテスト」の出場場募集(デモ・テープの受付)の広告を見つけます。

 「テープ送ってみようかな...。」

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僕の音楽史(161)

【1993年】

 武田謙治(g)阿部義徳(p)荻原光徳(b)宇山満隆(ds)

 新しいメンバーで初めて集まって音出しをした時のことはあまり覚えていないのですが、記憶に残っていることがひとつだけあります。初めってやった曲(スタンダードだったはずですが)の演奏直後にベースの萩原さんが「宇山氏、いいねぇー」と声を発したことです。

 ベーシストとドラマーの相性や信頼関係というのはバンドの要素としてとても重要と思います。そういう意味で、まずはこのバンドはいい感じになるぞという期待感が持てました。

 この時のバンド4人の関係はこんな感じだったと思います。

・武田は荻原さんとは二度部室で一緒に演奏をしたことがある。
・武田は阿部君とは部室で知り合った。一度だけ荻原さんとリハをやった時に一緒に演奏したくらい。
・荻原さんのリーダーバンドはピアニストは阿部君。
・阿部君と宇山君は部室で一緒に演奏する音楽仲間。
・宇山君は武田と荻原さんと演奏するのは初めて。

 ややっこしくて、どうでも良いかもしれませんがw、こんな感じだったと思います。要は、ほぼお互い初めてに近い感じだったてことです。

 阿部君のピアノはとにかくグルーブや「うねり」があってとても素晴らしく思いました。ピアニストではないのでテクニカルな面ははっきりとはわかりませんが、右手のシングルトーンとそれに呼応する左手の「合いの手」のバランスがとてもカッコよく、まるで二人のピアニストがいるかのように感じました。

 荻原さんのベースはまずは音が太く、音符が長くゆったりとしていて、そして何よりもメロディアス。歌心満載です。バンドを続けていくたびにだんだんベース・ソロが楽しみになったくらいです。

 そして、僕にとって初のドラマー宇山君。西尾さんはいわゆる「60年代ジャズ・ドラマー」という感じでありましたが、宇山君はもう少しコンテンポラリーな感じで、ハイハットの切れ味は抜群でした。細い体でしたが、手足の筋肉がしっかり付いていて、特にバスドラのキックは強力だと思いました。

 荻原さん、阿部君が東工大ジャズ研で宇山君が部室に住んでいるwwわけなので、初代バンドと同様に平日夜、もしくは日曜日の昼に東工大部室での2時間リハを月に2〜3回ほど行うようになりました。


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プロフィール

武田 謙治

Author:武田 謙治
1962年生まれ 新潟県出身
小4よりクラシックギターを始める。
中学~高校時代はロック、フュージョンに傾倒。
慶應義塾大学入学と同時に、慶應ライトミュージックソサェティに所属し、ジャズの演奏を始める。
卒業後は、働きながら音楽活動を継続し、ジャズギタリスト布川俊樹氏に師事し、各種コンテストにも参加。
【主な受賞歴】
浅草JAZZコンテスト グランプリ受賞
吉祥寺JAZZコンテスト グランプリ受賞
横浜JAZZプロムナード '94 コンペティショングランプリ受賞 横浜市民賞受賞
キングレコード「日本ジャズ維新塾」 グランプリ受賞 岡安芳明賞受賞
 
1990年代は精力的に活動をしていたが、2000年に入り、十数年の間活動休止。2014年夏より活動を再開。現在は、都内を中心に、「日本一ギターのうまいサラリーマン」を目標にライブ活動中。


【ギター教えます】
 僕は有名ミュージシャンではないですが、ずっと独学でやってきて「ジャズのアドリブが全くできない」とか「そこそこ弾けるようにはなったが、なんかジャズっぽくないなー」など、自分のギター・プレイに不満な方や伸び悩んでいる方の気持ちは一番わかっているつもりですし、そんな方達の手助けができるかなーと感じています。また、このブログで連載している「Pat Martino奏法研究」や「ジャズギター裏口入学」等について「もっと詳しく教えてほしい!」とか「一週間に一回ペースの小出しでなく、時間をかけてじっくり教えてほしい」みたいな人にも力になれるかな?と思ってます。

 東京都杉並区に住んでいますので、通える方は僕の自宅、遠方の方や通うのは大変という方に「Skype」で教えています。レッスン頻度は教わる皆様に合わせて決めています。

 興味のある方はメールやメッセージ、もしくはブログのコメント送信等どんなやり方でも良いのでご連絡くだされば詳細をお伝えいたします。

 それではお待ちしています!!

Mail : rymk.takeda@gmail.com

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