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僕の音楽史(133)

【1986年】

 前回お話しした通り、僕は兄の結婚した約1ヶ月あとの1986年4月12日に結婚しました。入社3年目で年齢は24歳になったばかりですので、随分と早く結婚したと思います。相手は同じ慶応ライトミュージックソサイエティ同期のピアニストのTさんでした。

 兄の結婚式では余興でギターを弾きましたが、自分の結婚式では流石に弾いたりはしませんでした(笑)。ただ、2次会では、彼女が週一ピアノを弾いているジャズバーであり、ライトのOBの方々もよく顔を出している「ローズイン」と言うお店でライトやカルア(慶応の音楽サークルで一緒に活動することの多かったグループ)などの音楽仲間たちがたくさん来てくれて、ジャム・セッションみたいなことをやったことを記憶しています。また、遅くまでそんな感じで騒いでいたにもかかわらず、翌朝は何人かの友達が新居への引っ越しの手伝いにきてくれた、そんな記憶もよみがえってきました!

 僕らの新居は東京中野区の中野新橋駅近くの1ルームマンションでした。そんな1部屋にアップライト・ピアノ(弦のついた電子ピアノ?)やギター数本、ステレオ等の大物機材が置かれ、大変窮屈なスペースでした。ただ、2階の角部屋で防音こそないのですが、しっかりとした作りのマンションでしたので、さすがにステレオをガンガンかけたりはしていませんでしたが、常識的な音量であればギターもピアノも普通に演奏することができましたので、恵まれていたと思います。

 彼女はピアノ弾きなので、所有していたレコードはほぼ全てピアニストのレコードでした。今までジャズ・ピアニストは名前こそ知ってはいましたが、アルバムをしっかりと聴いたことなどなかったのですが、彼女の持ってきたレコードを何枚か聴くことをきっかけに好んでジャズ・ピアニストを聴くようになりました。また、レコードも名盤を中心に買うようになりました。自分の演奏する楽器ではないので、マニアックな聴き方はしませんでした。むしろ純粋にリスナーとしてジャズを楽しめるようになり、音楽の視野が広がった気がしました。

 次回はそんな当時よく聴いていたジャズピアノの名盤を何枚かご紹介します!


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僕の音楽史(132)

【1986年】

 1986年、24歳になりました。この年の3月は久しぶりに人前で演奏する機会がありました。それは3つ上の兄の結婚式が催されることとなっていて、その中での余興で演奏することでした。

 この当時は「楽器一本でソロ・ギター」そんな実力もありませんでしたし(今でもあまり自信はないですけど)、バンド活動も全くやっていませんでしたので、一緒に演奏する仲間もおりません。だいたい、たった数分のためにそんな大騒ぎでやるつもりもありませんでした。兄の大学関係の偉い方々が参列する中、迷惑をかけてもいけません。したがって、ライト時代一緒にやっていたピアニストのTさんを誘ってギターとピアノのDuoで「Misty」を演奏しました。彼女は大学を卒業してからはホテルのラウンジ等でジャズやポピュラーの演奏を続けていましたので特に何の抵抗もなかったでしょうが、僕は卒業後はほとんどと言っていいほどギターに触ることがなかったですし、ましてや人前で弾くことなど皆無でしたので、たった1曲スタンダードを演奏するだけでもかなり練習して臨んだ記憶があります。結婚式の余興ですから「誰も真剣に聴いちゃいない」と気楽に考えようとも思いましたが、事前に兄からクラシックの生の弦楽四重奏のBGMがあることも聞いていたので、恥をかきたくないとも思って、随分としっかり練習し、本番も結構緊張して演奏した記憶があります。

 あっ、「音楽史」と直接関係ないですし、詳しく書くつもりもないですが(笑)、僕はライトの同期ピアニストTさんと、兄の結婚式の1ヶ月後の4月に、実は結婚式をあげる予定でした!

 両親や親戚は新潟住まいでしたし、「息子が二人とも一気に結婚!」ってことで大変だったと思います。のちのち親に聞くと、「私たちの友人達はみな『息子(娘)はみんな結婚もしないで、いつまでも家にいて困る』と言ってるが、お前達は何も苦労せずに嫁さんを見つけてきた。結婚式が重なって大変だったが、いっぺんにカタがついて良かった!お前たちは親孝行だ!」と言ってました(笑)

 下は兄の結婚式の時の演奏の写真。今はもう会社の先輩に売ってしまったクラシック・ギターを弾いていますね。アンプを持っていくのが大変だったからでしょう。体型的に今より10キロくらい痩せていますし、毛髪の量が今の1.5倍くらいはあります(笑)。正直、この頃に戻りたいですね。

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僕の音楽史(131)

【1985年】

 次回はこの「いもはうす」でのシークレット・ギグについて、記憶が曖昧ですがなんとか思い出しながら書いてみようと思います。

 こうは言ったものの、正直記憶が曖昧なので、もしかして間違った記述もあるかもしれませんので、あらかじめご了承ください。

 9月か10月頃だったと思います。ライブはセカンド・セットの入れ替え制だったのでしょうか?、僕は確か当日スーツを着ていた記憶があるので、会社帰りのセカンド・セットにきっと観に行ったのだと思います。ライトのピアニストだった同期のTさんと待ち合わせて一緒に行ったような気がします。彼女はそんなにパット・メセニーに興味があったわけではなかったと思いますが、僕がよく聴かせていたし、「ジェイムス」でのライル・メイズのことは気に入っていた様子でしたので、そんなに嫌がらずについてきたのだと思います。

 会社帰りで、多分開演間も無くに会場入りした関係で、立ち見でした。でも、室内にレンガの壁(?)みたいなものがあって、そこに肘をつきながら観ることができたので、そんなに足が疲れた記憶がありません。

 數十分もすると、例の175のネックを持って満面の笑みのメセニーが目の前を通り過ぎて行きました。

 「あれ、俺より背が低い?」

 アメリカ人にしては随分と小柄だなと感じたことを覚えています。一曲目は何だったか記憶にありませんが、多分「Turnaround」だったのではないかと思います。

 演奏した曲で覚えているのは、メセニーの曲では「エクストラディッション」ですね。GRー300の例の音、今では自分でも気軽に出せる音になりましたが、当時は目の前でガンガン出されると本当に感動ものでした。「ファーマーズ・トラスト」もやったかな。「ジェイムス」はやらなかったかな?

 一番記憶に残ってるのは次の2曲です。ミルトン・ナシメントの「ヴェラクルーズ」とスタンダードの「オール・ザ・シングズ・ユー・アー」。特に「オール・ザ・・・」は「一体いつ終わるんだろう?」というほど延々と弾きまくっていましたね。この曲、当時は今ほど人気曲ではなかったように思います。また、この頃まではベンソンのライブ演奏が1番のお気に入りでしたが、その時「ベンソンを明らか超えてるな」と感じた記憶があります。

 はっきりと覚えてることが一つあります。

 演奏が終わり、メセニーがギターのネック上部を握りながら楽屋に引き上げる時に再び僕の目の前を通りました。僕はその時、肘をついていた目の前のレンガの壁の上にビール・グラスを置いていたのですが、彼はギターのヘッドで僕のビール・グラスを引っ掛けてしまい、僕のスーツのズボンがビールでびしょ濡れになりました。彼は「Very Sorry !」とすかさず詫びてきました。英語が不慣れな僕は緊張からか、恥ずかしいことに「Thank You ! 」と応えていました(笑)。そのスーツは記念に洗わずにいたことは言うまでもありません(笑)。

この日以来、一段とメセニーばかり聴くようになったように思います。

 この時のメセニー・グループの来日公演の記憶はほとんどありませんが、確か、例の親友新保君と中野サンプラザで観たような気が...。

 これ以降、何年かかは彼らが来日するたびに必ずコンサートに足を運ぶようになりました。

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僕の音楽史(130)

【1985年】

 そんな時、タイムリーに「パット・メセニー・グループ来日決定!」の記事を目にします。

 「ファースト・サークル」発売後の初めてのツアーの一環での来日だったと思います。ともかく、前回も書きましたが、このアルバムの数曲は既に1983年のツアー時にライブで体験済みでしたが、当然のことながらこの機会を逃すわけには行きません。そして、もっとびっくりしたことに、確か「ジャズ・ライフ」だったと思いますが、コンサートガイドの欄外に「シークレット・ギグ」の告知がありました。

 「えっ?シークレット・ギグってなんだ?」

 記事を読み進めてみると、どうやらグループのメンバーであるマルチ・プレイヤー「ペドロ・アズナール」を除く4人がギター・カルテットで中野のライブハウス「いもはうす」に出演し、グループの曲以外にスタンダードを中心に演奏するとのことのようです。

 グループの来日公演以上にこっちのライブの方に惹かれました。確か記事に書いて合った問い合せ先にすぐに電話をし、チケットの入手方法を確認したと思います。

 その後めでたくグループのコンサート及びシークレット・ギグの両方のチケットを入手することができました。

 次回はこの「いもはうす」でのシークレット・ギグについて、記憶が曖昧ですがなんとか思い出しながら書いてみようと思います。


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僕の音楽史(129)

【1984年〜85年】

 社会人になって忙しく生活していたこともあって、新しい音楽を耳にすることはなく、以前から好きだったアルバムを繰り返し聴いていました。前回書いたように、70年代ロックをよく聴いていましたが、決してジャズやジャズ・ギターを忘れてしまったわけではありませんでした。

 この年衝撃のアルバムが発売されました。パット・メセニー・グループのファースト・サークルでした。

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 このアルバムについては、もう自分のブログには何回か書いています。また、色々な方が批評していますし、ご存知の方も多いのであえてここには書きませんが、それはもう天地がひっくり返る位びっくりしました。今までメセニー・グループは大好きではありましたが、大好きな曲ってのが割と偏っていて、アルバム通して全曲を聴くことはあまりありませんでしたが、このアルバムはそんな大好きな曲ばかり集めたアルバムみたいで毎回A面B面を通して聴くことが多かったです。この音楽史で実は書き忘れてしまったのですが、1983年の来日公演でメセニー・グループの初体験は済ませていました。その時と同メンバーで、当時は「アンタイトル」と紹介されていた曲達が全て収録された、それはもう最高のアルバムでした。

 このアルバムを聴いてからは一段とメセニーばかり聴いていたと思います。当時は必ずFM東京が来日の演奏音源聴かせてくれるラジオ番組がありましたので、まめにエアチェック(死語?)してカセットに入れて、始終部屋で流していましたね。

 メセニーのギターフレーズは、大学4年くらいから継続して断片的にはコピーしたりしていましたが、まだまだ影響を受けていると言えるほどの研究はしていませんでした。

 そんな時、タイムリーに「パット・メセニー・グループ来日決定!」の記事を目にします。
プロフィール

武田 謙治

Author:武田 謙治
1962年生まれ 新潟県出身
小4よりクラシックギターを始める。
中学~高校時代はロック、フュージョンに傾倒。
慶應義塾大学入学と同時に、慶應ライトミュージックソサェティに所属し、ジャズの演奏を始める。
卒業後は、働きながら音楽活動を継続し、ジャズギタリスト布川俊樹氏に師事し、各種コンテストにも参加。
【主な受賞歴】
浅草JAZZコンテスト グランプリ受賞
吉祥寺JAZZコンテスト グランプリ受賞
横浜JAZZプロムナード '94 コンペティショングランプリ受賞 横浜市民賞受賞
キングレコード「日本ジャズ維新塾」 グランプリ受賞 岡安芳明賞受賞
 
1990年代は精力的に活動をしていたが、2000年に入り、十数年の間活動休止。2014年夏より活動を再開。現在は、都内を中心に、「日本一ギターのうまいサラリーマン」を目標にライブ活動中。


【ギター教えます】
 僕は有名ミュージシャンではないですが、ずっと独学でやってきて「ジャズのアドリブが全くできない」とか「そこそこ弾けるようにはなったが、なんかジャズっぽくないなー」など、自分のギター・プレイに不満な方や伸び悩んでいる方の気持ちは一番わかっているつもりですし、そんな方達の手助けができるかなーと感じています。また、このブログで連載している「Pat Martino奏法研究」や「ジャズギター裏口入学」等について「もっと詳しく教えてほしい!」とか「一週間に一回ペースの小出しでなく、時間をかけてじっくり教えてほしい」みたいな人にも力になれるかな?と思ってます。

 東京都杉並区に住んでいますので、通える方は僕の自宅、遠方の方や通うのは大変という方に「Skype」で教えています。レッスン頻度は教わる皆様に合わせて決めています。

 興味のある方はメールやメッセージ、もしくはブログのコメント送信等どんなやり方でも良いのでご連絡くだされば詳細をお伝えいたします。

 それではお待ちしています!!

Mail : rymk.takeda@gmail.com

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