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僕の音楽史(128)

【1984年〜85年】

 この頃からまた、以前このブログによく登場していた親友の「新保君」とたまに会うようになってました。彼は一浪していたので、まだ大学生活を満喫していました。彼はロック、フュージョン、ジャズを中心にギター・ミュージックを相変わらず聴きまくっていましたが、やはり彼と会って話すことと言えば中学、高校当時の70年代ロックの話が話題の中心でした。

 彼と話していると、当時夢中になっていたロック・バンドの中で、結構聴いていないアルバムが存在していることに改めて気がつきました。

 例えば、ディープ・パープルで言うと、セカンド「詩人タリエシンの世界」「ファイアー・ボール」、イエスではファーストやセカンド「時間と言葉」などなど。

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 当時は中学・高校当時に所有していたロックの名盤は既に売っていて手元になかったのですが、これをきっかけに70年代ロック熱が再燃し、渋谷のディスク・ユニオンで中古盤で買い直したりしていました。

そして、当時結構な数を所有していたツェッペリンのブートレッグ盤も再度買い直すために、新宿西口のレコード・ショップを新保君と二人で放浪したりしてましたね。

僕の音楽史(127)

【1984年〜85年】

 社会人となりました。僕は某小売業に就職しました。このブログは「僕の音楽史」ってことなので、会社の話は特に詳しく書くつもりはないですが、僕にとっては「毎日決まった時間に出かける」という生活はかなりのストレスでした(笑)。とにかく環境が激変し、何もかもが目新しいことばかり、疲れることばかりで、とても「音楽」を楽しむ感じではなくなりました。

 学生時代にはエレキ・ギター3本を所有していました。YAMAHAのセミアコSA-1200とフルアコAE-2000、そしてアイバニーズのセミアコLR-10(リー・リトナー・シグネイチャー・モデル)の3本を所有してましたが、もう人前で演奏することも当分ないだろうし、複数本所有している必要もなかったので、はっきりと記憶にはないのですが、後輩に売ったりして早いタイミングで、フルアコAE-2000の1本のみとなりました。

 セミアコ2本を売り、フルアコ1本残したのは、やはり社会人になって、少し真面目にジャズ・ギターを勉強しようと考えたからと思うのですが、実際のところは週に何時間か弾く(触る?)くらいで、弦は錆びた状態で、切れても数日はほって置いたりといった状況でした。

 同期入社の中に音楽好きの友人でもいれば別なのでしょうが、残念ながらそういう友人もいなく、全く音楽的な生活からは程遠いものでした。

 そうは言っても、以前のように中古レコード買いまくることはなかったものの、所有しているレコードは休みの日などには聴くことはありました。やはりメセニーが好きでしたね。大学4年くらいからずっと愛聴盤である「Travels」と「Off Ramp」、ずっとこの2枚を聴き続けていました。また、カシオペアと渡辺香津美さんも継続して聴いていました。カシオペア「ミントジャムズ」やKAZUMI BAND「頭狂奸児唐眼」はよく聴きました。この後の新譜も何枚かリリースされていたと思いますが、新しいアルバムを買ったりしていなかったと思います。そんな気持ちの余裕は多分無かったのだろうと思います。

 入社して1〜2年は誰もそうかと思いますが、やはり社会人として心と身体が慣れていくまでは、とても音楽をやる余裕などなかったですね。

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僕の音楽史(126)

【大学4年生(1984年)】

 大学生活の最後はライトのリサイタルでした。僕はこのリサイタルで「コンファメーション」を弾き、このバンドを卒業しました。途中何度もやめようとは思っていましたが、他にやりたいこともなかったので、結果的に卒業まで続けることとなりました。僕の記憶では、リサイタルの翌日にFM東京の収録があったように記憶しています。これが文字通り最後の最後の活動でした。

 ライトのOBでこのブログを読んでくださっている方々、今まで読んでいただきありがとうございます。一旦今回をもちまして、ライト関連の話題は終わりとなりますが、お話は続いていきますので、興味のある方は引き続き読んでいただけると嬉しいです。
 
 僕にとって「ライトという音楽サークルが何だったのだろう?」

 卒業から今現在まで僕は一度もビッグ・バンドの中でギターを弾いていませんし、一度もビッグ・バンドの演奏を聴きに行ったことはありません。あ、「ジャコ・パストリアス・ビッグ・バンド」は大好きで聴いてはいましたが、王道のビッグバンドではないですね、これは。要は、正直、今も昔もビッグ・バンドにはほとんど興味がないのです。そして、自分のギターがそこにいないビッグ・バンドには興味がないのです(笑)。これが、僕が卒業後にOBとしてライトの演奏を聴きに行くこともなく、それどころか飲み会にも行くこともない大きな理由です。僕以外はOBは皆、「ライト愛」「ビッグ・バンド愛」が強く、そんな中に自分が身を置くのは申し訳ないですし、辛いのです。

 でも、ライトに所属したことは無駄だったのかというと、決してそんなことはありません。今現在、僕のフォー・ビートのノリやグルーブはこの4年間に培われたものであり、この4年間が無かったら今のギタリストとしての自分は無かっただろうなと自信を持って言うことができます。ベース・ソロの時などにたまに「4つ刻み」のカッティングをすることがありますが、そんな時は「ライト」のことを思い出したりすることがあります。

 大学生活の話題はこれで終わりです。次回からは社会人1年目に話が進んでいきます!

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僕の音楽史(125)

【大学4年生(1983〜84年)】

 寺さんの「コンファメーション」のアレンジは僕のお願い通りに出来上がっていました。まさに「テーマはアルトとユニゾンで弾いたら、後はほとんどピアノトリオをバックに何コーラスも弾きまくりますので、所々合いの手みたいに管を入れてくれるだけで良いですから」の通りでした。

 当時、深くは考えませんでしたが、これはある意味「挑戦」でした。凝ったアレンジやアンサブルはなく、ほとんどが「ギター・カルテット」状態です。文字通り「フューチャーもの」です。僕のギターがパッとしなければ、この曲はおしまいとなってしまいます。

 ギター・ソロの研究、練習も実は暗礁に乗り上げていました。どう言うことかと言うと「コンファメーション」という曲そのものを演奏しているギタリストが全くいなかったのです。この曲に決めたきっかけとなった「リッチー・コール5のブルース・フォアマンのライブ演奏」以外のギタリストの演奏を見つけることができませんでした。当時は、現在のように「インプロビゼーション」という感じでこの曲を弾く力量はありませんでした。コンファメーションに限らず今までソロのある曲も「100%書き譜」と言うわけではないものの、ある程度フレーズや構成を考えておいて、「出てくる順番や組み合わせが変わる」、そんな感じで演奏していました。
 
 参考にする題材がないので、ほぼ自力で考えるしかありませんでした。今まで自分のお気に入りのフレーズを試行錯誤弾いてみて、コンファメーションの色々な場所にあてはめて弾いてみて「このフレーズは使える、これはここじゃない、こっちのコード進行で使おう!」なんて、フレーズ・ストックを棚卸ししながら、毎日一ヶ月ほど弾いましたので、リサイタル前の合宿の頃には八割がたは出来上がっていました。

 これがリサイタル前の「直前通し練習」の時の演奏の録音です。2年ほど前に一度Facebookに上げたことがあるので、聴いたことがある方もいるかもしれません。



 残念ながら、リサイタル本番の録音は現在行方不明でお聴かせすることができません。以前は所有していたはずなのですが、どうしても見当たりません。

 このブログを読んでいるライトのOBで、この時の録音をお持ちの方は僕に連絡ください!

 こうして、僕は文字通り大学生最後音楽活動となるリサイタルを迎えたのでした。

 ※写真は僕が卒業時のリサイタルのものではなく、1982年リサイタルですね。多分寺さんのフューチャー曲を演奏している時と思います。

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僕の音楽史(124)

【大学4年生(1983〜84年)】

 就職先も決まり一息ついた83年の年末頃にもなると、翌3月に行われるライトのリサイタルで演奏する自分のフューチャー曲を決めなくてはならない時期でした。僕は結構あっさりと決めました。曲は「コンファメーション」です。

 ライトのリサイタルで演奏するフューチャー曲を決定するにあたり結構早くから決めていたことがあります。それは「ビ・バップ」から選曲しようということです。

 僕は学生ビッグバンドのギタリストとしては異端児でした。いわゆる「ジャズ」はあまり弾けませんでしたし、フレディ・グリーンのような「刻み」を売りにするギタリストでもありませんでした。むしろ、そんなのは退屈でしたし、16ビートのカッティングや歪み系の音でソロを取ることが多かったので、そういった感じで評価してくれていた人はいたかもしれませんが、けっして僕を「ジャズ・ギタリスト」とは思っていなかったと思います。最後くらいは「ジャズ」、しかもコンテポラリーなものではなく、「ビ・バップ」を弾いて、それも、がっつり弾きまくって「こいつ、ジャズも弾けるのか!」と思われてライトを終えたいと思っていました。

 それをやるための格好の研究材料として、以前もこのブログで紹介した「ブルース・フォアマン」という素晴らしいギタリストが最適でした。この時点で既に結構コピーしていましたが、さらにコピーしまくりました。

 アレンジは先輩ピアニストの寺さんがやってくれることになりました。たまたまOBとして顔を出してくれた時に「武田のフューチャー曲は俺がアレンジしてやるから」と言ってくれていたので、お言葉に甘えてお願いすることにしました。
 
 寺さんに「どんな感じにする?なんか希望ある?」と聞かれたので、こう答えました。

 「特に希望はありませんが、凝ったアレンジにしないでください。テーマはアルトとユニゾンで弾いたら、後はほとんどピアノトリオをバックに何コーラスも弾きまくりますので、所々合いの手みたいに管を入れてくれるだけで良いですから」

 素晴らしいアレンジャーでもあった寺さんを完全にバカにしてますね、今考えると....(笑)。

 でも、本当にそんな感じでアレンジは出来上がって来ました。とても嬉しかったですね。

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プロフィール

武田 謙治

Author:武田 謙治
1962年生まれ 新潟県出身
小4よりクラシックギターを始める。
中学~高校時代はロック、フュージョンに傾倒。
慶應義塾大学入学と同時に、慶應ライトミュージックソサェティに所属し、ジャズの演奏を始める。
卒業後は、働きながら音楽活動を継続し、ジャズギタリスト布川俊樹氏に師事し、各種コンテストにも参加。
【主な受賞歴】
浅草JAZZコンテスト グランプリ受賞
吉祥寺JAZZコンテスト グランプリ受賞
横浜JAZZプロムナード '94 コンペティショングランプリ受賞 横浜市民賞受賞
キングレコード「日本ジャズ維新塾」 グランプリ受賞 岡安芳明賞受賞
 
1990年代は精力的に活動をしていたが、2000年に入り、十数年の間活動休止。2014年夏より活動を再開。現在は、都内を中心に、「日本一ギターのうまいサラリーマン」を目標にライブ活動中。


【ギター教えます】
 僕は有名ミュージシャンではないですが、ずっと独学でやってきて「ジャズのアドリブが全くできない」とか「そこそこ弾けるようにはなったが、なんかジャズっぽくないなー」など、自分のギター・プレイに不満な方や伸び悩んでいる方の気持ちは一番わかっているつもりですし、そんな方達の手助けができるかなーと感じています。また、このブログで連載している「Pat Martino奏法研究」や「ジャズギター裏口入学」等について「もっと詳しく教えてほしい!」とか「一週間に一回ペースの小出しでなく、時間をかけてじっくり教えてほしい」みたいな人にも力になれるかな?と思ってます。

 東京都杉並区に住んでいますので、通える方は僕の自宅、遠方の方や通うのは大変という方に「Skype」で教えています。レッスン頻度は教わる皆様に合わせて決めています。

 興味のある方はメールやメッセージ、もしくはブログのコメント送信等どんなやり方でも良いのでご連絡くだされば詳細をお伝えいたします。

 それではお待ちしています!!

Mail : rymk.takeda@gmail.com

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