僕の音楽史(50)

【高校2年生(1978〜79年)】

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ギター・ワークショップ Vol.1というレコードを聴きました。森園勝敏、大村憲司、渡辺香津美、山岸潤史の四人の日本人ギタリストたちのオムニバス・アルバムです。この辺の記憶は実はあいまいなのですが、多分友達の新保君から聴かせてもらったのかもしれません。正直、日本のギタリストたちがこんな感じになっていたとは全く知りませんでした。

 ギタリストの名前はみな聞いたことがある人たちばかりでしたが、演奏自体を聴いていたのは四人囃子の森園勝敏さんくらいでした。ただ四人囃子を脱退してからの足取りは全く知らずにいました。

 収められていた曲はどれにも驚かされましたが、一番の驚きは「ギターの音が歪んでいない」という事でした。あとリズムも「8ビートではない(もちろんビートの名前なんか知りませんでしたが・・・・)」ってことでした。ただ、前回紹介したクリエイションの「暗闇のレオ」やテレビからよく流れてきていたサウンドである程度免疫はできていたので、すんなり入ってきました。そして、とてもカッコよく聴こえました。何よりも嬉しかったのは、ロックと同じく「ギターが主役」であることでした。

 もう自分の中から「ロック」は出ていってしまいました。当時の僕には「ロックも良いがクロスオーバー(フュージョン)も良い」みたいな考えにはならず、一部のミュージシャンを除いては全く興味がなくなってしまいました。「ロックはもう古い、終わった」と感じてしまっていました。

 このアルバムに参加しているギタリストの中では「森園勝敏」「渡辺香津美」の二人が気に入りました。

 こんな感じで、僕はまず日本のギタリスト達からクロスオーバー(フュージョン)の世界へと足を踏み入れていきました。

僕の音楽史(49)

【高校2年生(1978〜79年)】

 おかしなドラマが始まりました。タイトルは「ムー一族」です。どんなドラマかをネットの情報を参考に下に書いておきますね。

「ムー一族」
 東京・新富町の老舗足袋屋の「うさぎ屋」を舞台に、伊藤四朗と渡辺美佐子演じる夫婦とその次男の郷ひろみを中心に、樹木希林や伴順三郎、由利徹、左とん平、五十嵐めぐみ、岸本加世子らの出演で、毎回とくにこれと言うような大事件のようなものもなく、時に突拍子もなく脈絡もないようなコント風の場面になったりで、大笑いと言うよりは「クスッ」と笑えるような小ネタをちりばめたドラマ。

ムー一族

 ドラマなどはあまり興味がなく、郷ひろみが好きだったわけではなかったのですが、何気なくテレビをつけたら、主題曲が耳に飛び込んできました。「ん!なんだ?かっこいい演奏だな?」僕の耳が即座に反応しました。

 「主題曲:暗闇のレオ 演奏:クリエイション」

 「え?クリエイション!?」

 目を疑いました。耳も疑いました。ほんの1年程前のアルバム「ピュア・エレクトリック・ソウル」で、やはりクリエイションは日本が誇る最高のロック・バンドと再認識したばかりでした。そのクリエイションの演奏とはとても思えませんでした。

暗闇

 確かにサイド・ギターの飯島さんやベースの松本さんが脱退した話は風のうわさで聴いていましたし、友人新保君から「スピニング・トー・ホールドNo2」を聴かせてもらっていて、既に「なんか様子がおかしいぞ?」とは感じていましたが、ここまで変貌を遂げていたとは夢にも思いませんでした。

 この時期、音楽界はフュージョン(当時はクロスオーバーと呼んばれていましたが)の大きな波に飲み込まれようとしていた時代でした。いなか育ちの僕はそれに気づかずに過ごしていました。ともかくインターネットもYoutubeも携帯電話すらない時代、情報量があまりに少なすぎました。今振り返ると「スタッフ」も「リトナー」も「カールトン」も既にデビューしていて、注目され始めていたようですが、当時の僕の耳には全く届いていませんでした。

 僕はクリエイションの「暗闇のレオ」でこの音楽界の大きな潮流に初めて気が付いたのです。


 「暗闇のレオ」はシングル盤を早速購入し、コピーしました。今でも大好きな曲で、ギター演奏前の指ならしによく弾いています。

 皆さん、この曲は知っていますよね??知らない方はYoutubeで検索して聴いてみてください。40、50代の方なら必ず思い出すはずです。


 

僕の音楽史(48)

【高校2年生(1978〜79年)】

 高校2年生になりました。クラス替えがありました。そして、例の音楽好きの新保君とも同じクラスになり、情報交換がしやすくなったのと同時に、高校2年ともなると何名か音楽好きの人間もクラスにいて、音楽環境的には非常に良好となりました。
 
 そんな中でエリック・クラプトンに改めてはまりました。もちろん、当時はロック3大ギタリストと言えば「クラプトン、ベック、ペイジ」ってくらいなので、もちろんクラプトンの演奏は耳にしていました。ただ、最初に聞いたのがクリームの「ベスト盤」、しかも「スタジオ録音もの」だったので、なんか古臭い感じがして、それっきり聴くことがほとんどありませんでした。そうこうしているうちにベック、ペイジやブラックモアに興味が移っていき、クラプトンが自分の中から消えていました。僕が聴いたのは下の2枚でした。

cream vol2 EC.jpeg



 一枚目は「ライブ・クリーム Vol2」です。とにかく「政治家」「サンシャイン・ラブ」「ホワイト・ルーム」等のヒット曲がライブということもあり、物凄い迫力そしてクラプトンの長尺のアドリブ・プレイが聴けます。クラプトンのギター・プレイも良いですが、ジャック・ブルースの歪んだベースも最高でした。そして、ギタリスト的には「ブルース・ロックの教則レコード」のようでした。この一枚のクラプトンのプレイはほぼコピーしました。

 二枚目はもう少し後の演奏で「EC Was Here 」ですね。これは1曲目の「ハブ・ユー・エヴァー・ラブド・ア・ウーマン」につきます。と言うか、正直これしか覚えてません(笑)。て言うか、これだけでも良いような気もします。このアルバムを聴いて、クリエイションの竹田和夫さんはこんな感じを目指していたのかな?と思ったりもしました。僕はクリエイションのライブでこの手のブルースは既に聴き慣れていました。

 「クラプトン、ベック、ペイジ」、これでがっつりと3大ギタリストを聴くに至りました。僕の気持ちはこの時点では

 ペイジ=ベック>クラプトンでした。

僕の音楽史(47)

【高校1年生(1977〜78年)】

 レインボウが来日することを、友人新保君から聴きました。しかも、なんと新潟県民会館にやってくることを聴いてまたまたびっくりしました。

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 この当時はまだ上越新幹線が開通していないこともあってか、来日するミュージシャンが新潟に来ることはほとんどありませんでした。したがって、僕もこの時点で以前にブログに書いた小学校5年で観た「ユーライア・ヒープ」以外は全くコンサートに行ったことがありませんでした。あっ、正確に言うと、中学校の時に新潟体育館で山口百恵は見ましたが(笑)。

 最もこの当時はもう「リッチー・ブラックモア熱」は覚めていました。「バーン(紫の炎)」を最後に急激に聴く回数は減っていきましたし、パープルでの最後のアルバム「嵐の死者」は聴いたことはありませんでしたし、あまり興味もわきませんでした。もちろん、その後リッチーが「レインボウ」を結成したことも知っていました。そして、なぜかレインボウのファースト・アルバム「銀嶺の覇者」は購入しましたが、インストの曲を除いては全く好きになれず、記憶にも残っていません。

 そうは言っても、ここで観に行かなければ、もしかしたら一生観ないまま終わる可能性もあると思いましたし、バンドとしてそんなに興味がなくても、リッチーのようなギタリストを見る機会などそう簡単に訪れないと思い、新保君と観に行くことにしました。

 どうだったかと言うと、残念ながらほとんど記憶にありません(汗)。覚えていることは、次のことだけ。パープル時代の名曲「ミストリーテッド」を演奏した事。そして、その時にテープエコー代わりに使っていたオープンリールのMTがぐるぐる回っていたこと。たったのこれだけです。

 パープル時代からほんの数年しかたっていないのに、なんか僕的には全然グッとくるものがありませんでした。決して演奏が悪かったわけではなかったのだと思います。僕自身の興味が少しづつ変わっていったのだと思います。

 僕にとってのリッチーはやはりディープ・パープル2期の時代なのです。

 この時代のリッチーをこの目で見たかった!

 いつもこのブログ、内容がロック関係の時は、Facebookの「ハードロック研究会」にシェアしているのですが、今回はしません。

 レインボウのファンはあまり気分が良いものではないでしょうから・・・・。


僕の音楽史(46)

【高校1年生(1977〜78年)】

 テレビの歌番組を見るのが結構楽しくなってきました。
 
 歌謡番組、以前は演歌といわゆる歌謡曲ばかりで、あまり興味がなかったのですが、この頃から結構見ごたえのある人たちが沢山出演するようになっていました。そんな中で一番はチャーでした。

気絶


 チャーは以前このブログでも書きましたが、彼が高校生?くらいに参加していた「スモーキン・メディスン」時代から注目していて、ファーストアルバムも聴いていましたし、名曲「スモーキー」ももちろん知っていましたが、彼の情報が新潟にはあまり入ってくることもなく、あまりのめりこまずにいました。そんな彼が「気絶するほど悩ましい」でテレビに頻繁に見かけるようになりました。

 まー、色々言う人もいるかもしれませんが、当時の「歌謡ロック(?)」路線、僕はそんな嫌いじゃなかったですね。たった数小節のギターソロでしたが、そんな短い中でも彼の才能は十分感じ取れましたし、とにかく他の出演者アイドルたちと並んでも遜色ないルックスでしたし、とにかくカッコよかった。そして「本当にやりたいことは別のことなんだろうな?」と思って聴いていましたし、多分そのうちにきっと好きなことをやり始めるだろうとも思ってましたね。

 それ以外に好きだったのは「沢田研二」でした。もちろん彼の歌も大好きでしたが、いつもバックを務めていた「井上堯之バンド」が最高にかっこよかったですね。彼の「シンラインのテレキャスター」から繰り出されるサウンドは渋くて最高でした。「太陽にほえろ」や「傷だらけの天使」の音楽も彼らの演奏で、ドラマの雰囲気にぴったりでしたね。

沢田 inoue.jpg


 番外編で「ピンクレディー」が好きでしたね。キャンディーズも好きでしたが、どちらかといえば「ピンクレディー派」でした。しかも僕は「ミー」と「ケイ」でいうと「ケイ」ちゃんの方が好きでしたね。「渚のシンドバット」が大好きな楽曲でした。また「UFO」の間奏はAマイナーの音階練習にはちょうど良く、コピーして指ならしに弾いていましたね。そんな関係で今でも弾けると思います。

OMC20160627渚のシンドバッドpinklady.jpg



 「パンクロック」なるムーブメントが台頭してきたり、レッド・ツェッペリンやイエスの活動が停滞していたり、パープルにはもうリッチーがいなかったりと、少し英国のロック界が個人的には面白くなくなってきたように感じていました。そんな関係で、テレビの歌謡番組に走っていたのかもしれないですね。


 
プロフィール

武田 謙治

Author:武田 謙治
1962年生まれ 新潟県出身
小4よりクラシックギターを始める。
中学~高校時代はロック、フュージョンに傾倒。
慶應義塾大学入学と同時に、慶應ライトミュージックソサェティに所属し、ジャズの演奏を始める。
卒業後は、働きながら音楽活動を継続し、ジャズギタリスト布川俊樹氏に師事し、各種コンテストにも参加。
【主な受賞歴】
 浅草JAZZコンテスト グランプリ受賞
 吉祥寺JAZZコンテスト グランプリ受賞
 横浜JAZZプロムナード’94 コンペティショングランプリ受賞 横浜市民賞受賞
 キングレコード「日本ジャズ維新塾」 グランプリ受賞 岡安芳明賞受賞
 
1990年代は精力的に活動をしていたが、2000年に入り、十数年の間活動休止。2014年夏より活動を再開。現在は、都内を中心に、「日本一ギターのうまいサラリーマン」を目標にライブ活動中。
【ギタリスト武田謙治のブログ】
http://kenjitakeda.jp/
【Jazz Rock 必見動画!】
https://kenjitakeda.blog/
【Guitar Lesson のお知らせ】
http://kenjitakeda.jp/blog-category-12.html/

mail:rymk.takeda@gmail.com

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