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僕の音楽史(121)

【大学4年生(1983〜84年)】

 前回にも書きましたが、この当時はもうメセニーばかり聴いていました。お気に入りは「アメリカン・ガレージ」と「ライブ(トラベルズ)」でしたが、これをきっかけに個人名義でリリースしていたアルバム「ブライト・サイズ・ライフ」「ウォーター・カラーズ」そして直近でリリースされたアルバム「80/81」なども購入し、ともかくメセニー一色だったように記憶しています。フレーズ・コピーも結構やっていましたが、当時はまだ理論的な裏付けができていなかったので、今のように色々な曲や進行に応用させることができていなかったと思います。ただ、僕が今でも使うメセニー・フレーズのほとんどがこの時のストックと言えますね。

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 ライトもF(4)年ともなると、休むわけにはいかず、週3回の練習は必ず参加していました。そして、練習のたびにギターを担いでいくのが面倒になったので、楽器は部室に置き、もう一本自宅で練習するためのギターを購入することにしました。当時はリトナーやカールトンの全盛期でもあり、335系のセミアコを使っている人がギタリストのほとんどでしたし、僕もヤマハSA-1200を使っていましたので、その一人でした。もう一本のギターはやはりセミアコを買おうと思い、当時発売されたばかりのアイバニーズのリトナー・シグネイチャー・モデル( LR−10 )を買いました。この楽器は結局は人前で弾くこともなく、大学卒業後にすぐに売ってしまったので、あまり詳細なことは記憶にないのですが、今思うと練習用にしておくだけではもったいないような素晴らしい楽器だったのではと思います。

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 そして、夏休みが近づく頃ともなると、同級生は皆就職活動を始めていました。ライトの同僚も僕とピアノ女子Tさん以外は皆活動を始めていたようでしたが、僕は全くそんなことに興味がありませんでした。音楽で食っていこうなどと大それたことは考えていませんでしたし、そこまでのギターの腕前などはありませんでした。ただただ現実逃避、面倒なことを考えたくなかっただけです。それより、必修科目の英語の単位を落とし4年になっても週1回は日吉に通っていた僕の関心ごとは「4年で無事卒業できるか」でした(笑)。

 



 

 

僕の音楽史(120)

【大学4年生(1983〜84年)】

 大学4年になりました。ライトのリズム隊のレギュラー・メンバーは総入れ替えとなりました。ベースはS君、ドラムはF君、ピアノはTさんになりました。みんな各々は上手でしたが、音楽性はバラバラでしたし、本来僕がまとめやくになるべきなのでしょうが、全くもってそんな手腕もありませんでしたし、興味の対象は自分のことだけでしたので、歴代の中ではあまりいい感じのリズム隊ではなかったと思います。
 
 この当時僕はPat Metheny Groupのライブ・アルバム「トラベルズ」に夢中でした。

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 このアルバムを聴くまでは、僕の中でのパットのお気に入りは「アメリカン・ガレージ」でした。そのあと発売された「オフランプ」は「ジェイムス」以外はあまり好きにはなれませんでしたし、最初にブレイクしたアルバム「サンロレンツオ」もギターの音色が今に比べるとかなり深いディレイがかかっていて、あまり好きにはなれませんでした。また、当時メセニーは指でビブラートをかける癖があって、それがどうも気になってギタリストとしてはそんなに好きな感じではなく、どちらかというともっとオーソドックスなタイプのギター弾きをずっと研究していました。

 それが、このライブ・アルバムを購入し、一変しました(笑)。「ついておいて」の何とカッコいいこと!スタジオ盤では通して聴いたこともないこの曲が自分に迫ってきます。そして、それに続く「ザ・フィールズ、ザ・スカイ」の素晴らしく歌うギターと圧倒的な構成力、「ストレート・オン・レッド」のライルの知的にノリノリのピアノ、「ソング・フォー・ビルバオ」の迫力、「ファーマーズ・トラスト」や「トラベルズ」の涙が出るほど美しいバラード、もうどの曲を聴いても感動モノでした。

 このアルバムから、僕はパット・メセニーのフレーズ・コピーを始めました。当時は「ザ・フィールズ、ザ・スカイ」をコピーし、レコードと一緒に弾くことが快感で、毎日馬鹿の一つ覚えのように弾いていました。ただ、当然音楽理論もわからないですし、コード進行も採れない、そんなレベルでしたから、全く同じようには弾けましたが、逆にアドリブで弾くことなどは全然できない、ただの「猿真似」でした。

 とにかく、ライトとして最後の年、さすがにこんな時期から卒業前のリサイタルの自分のフィーチャー曲のことを考えていたわけもありませんが、「上手くならなければ!」という思いが人一倍強く、他人の演奏やリズム隊のことなど考えている余裕はありませんでした。

 申し訳なかったと思います。

僕の音楽史(119)

【大学3年生(1983年)】

 僕以外のリズム隊、久野さん(p)タダシさん(b)中村さん(ds)の3人がこの3月のリサイタルをもってめでたく卒業を迎えるということは、以前もお話ししたとおりですが、その3人と最後の演奏になるであろうリサイタルではあったはずなのですが、あまり記憶がありません(笑)。

 僕は彼ら3人の素晴らしいミュージシャンに対して今思うことは一つです。

 「あの時、僕がもう少しギターが上手く弾けていたら、本当に楽しかったのにな」と言うことです。

 ピアノの久野さんは絶対音感もあり、フルバンドのアレンジもライトに提供しているそんな才能の持ち主でしたし、ただしさんは本当に安定感のあるベーシストで、一緒に演奏していてストレスを感じることは全くありませんでした。また、ドラムスの中村さんは、例のカシオペア神保さんの後を引き継いでレギュラーになったことは凄いプレッシャーだったと思いますが、別の意味で(別の土俵で?)一時代を築いた素晴らしいドラマーだと思います。彼のミディアム・スィングのノリは当時の学生バンドではピカイチでしたし、僕のジャズのノリは彼と一緒に約2年ほど演奏したことによるものが大きいと思うのです。

 そんな3人の中で、僕は謙遜でもなんでもなく、ギタリストとしてあまりに未熟でした。今の半分ぐらいの力量があれば、色々な事ができて面白かったのになと思います。また、3人とも学年が上でしたから、同期や後輩と同じ感じに接するっと言うのも若干抵抗がありました。3人とも、もちろん気兼ねなく話せる感じではありましたが。

 このリサイタルをもって、彼ら3人とはお別れとなりました。その後、僕は彼ら3人とは公式の場では一度も演奏したことがありませんし、数えるほどしか会っていません。

 僕はこの3人がいなくなった時点でもうライトには正直全く興味がなくなりました。3人ものメンバーがいなくなった訳ですから、もともとレギュラーだった僕が新しいメンバー達を引っ張って行かなくてはいけない立場であるはずですが、興味はライトのリズム隊のことではなく、自分のギター・プレイに100%向けられました。

 「上手くなりたい!いや、上手くならないといけない!」

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僕の音楽史(118)

【大学3年生(1983年)】

 ライト・レギュラー・メンバーのうち、僕以外のピアノ、ベース&ドラムスの3人が卒業を迎えることは前回お話しした通りです。そして、彼ら3人がリサイタルで行うフューチャー曲のうち、僕にとって一番印象に残った曲はベースのタダシさんが選んだラン・アウェイでした。それは何故かというとギター・ソロが貰えたからでした。

 タダシさんは親切にも「武田もソロ何コーラスかやれば?」と言ってくれました。僕が「ギター・ソロがなくて面白くない!」と、いつも不満を漏らしていたので気を使ってもらったのだと思います。もちろんお言葉に甘えてソロを数コーラスいただくこととなりました。

 この曲はGのブルースでした。当時、僕は未だスタンダードはあまり上手に弾けませんでしたが、ブルースならそこそこアドリブ演奏で数コーラスくらいは弾けるレベルではありました。ただ、せっかくのリサイタルですし、先輩のフューチャー曲なので不甲斐ない演奏してもやり直しはききません。したがって、ジャズ・ギタリストの誰かの演奏をコピーして、アドリブ演奏ではなく書き譜でやろうと思いました。色々題材になりそうな曲を探しましたが、キーがGのブルースってのはなかなか見つけることができませんでした。

 結局どうしたかと言うと、下のウェスの名盤「ハーフノートの....」の一曲目「ノー・ブルース」、この曲は実際はキーがFで演奏されていましたが、最初の2コーラスのソロをGに転調して演奏することに決めました。

 実際どんな演奏だったかは全く記憶はないのですが、間違えずにまんま弾けたと思います。でも、所詮はウェスのパクリですから、聴いていた人の中には気がついた人がいて「なーんだ」と思った人もたくさんいただろうなと考えると、そんなことやらずにアドリブでやればよかったなと今では後悔しています。

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僕の音楽史(117)

【大学3年生(1982年〜83年)】

 1982年も終わり83年の幕開けです。

 この頃になると毎年恒例のリサイタルのことが気になってくる頃です。

 この年のリサイタルを最後にいつも音楽的に随分と助けてくれていたリズム隊のピアノ、ベース、ドラムス、要はギターの僕以外の3人がこのリサイタルをもってめでたく卒業となります。

 以前お話ししたように、卒業を迎える方々は必ず一曲フューチャー曲を演奏します。彼ら3人が一体何を演奏するのだろうかと興味がありましたし、少なくても彼らの選んだ曲は心を込めて演奏しようと思いました。

 ピアノの久野さんは「It Could Happen To You」、ベースのタダシさんは「Run Away」で、偶然にも下の写真のケニュー・ドリュー・トリオの「ダーク・ビューティ」というアルバムの演奏をベースにフルバンドにアレンジしたものでした。ドラムスの中村さんの曲は、どうしても曲名が思い出せません。この投稿を読んだ方、わかったら教えてください!久野さんは自らアレンジしていたと思いますし、端さんのやつは僕の記憶が正しければ、寺さんがアレンジしていたと思います。

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 ギターばかり聴いていた僕は、当然このアルバムは聴いたことがありませんでしたので、早速このアルバムを購入しました。人生で初めて購入したピアノ・トリオ・アルバムでした。

 ベーシストのペデルセンはジョー・パスのレコードで既になんども聴いていて大好きなベーシストでした。また、ドラムのアルバート・ヒース、ドラムのスネアやタムの音があまりジャズっぽい録音ではなかったのですが、僕はかえってその方がいいなと思っていました。そして、久野さんのビッグバンド・アレンジはケニー・ドリューのプレイの美味しいところが散りばめられていてすごくいい感じに仕上がっていました。

 実はこの頃「ビッグバンドのアレンジを久野さんに教わってみようかな?」と思っていました。先代のピアニストの寺さんもアルトの淳平さんも皆んなアレンジをライトに提供していましたし、自分のフューチャー曲は自らアレンジしていたりしたので、僕もできるようになりたいと一時期思っていました。

 結局、怠け者の僕は行動を起こさずじまいに終わりました。そして、今現在もアレンジどころか譜面もろくに書けませんし、曲もほとんど書きません。そして、別コーナーでやっている「マイナー・コンバージョン」なんて概念を数年後に発見し、自分のプレイに取り入れるようになってからはもう完全に一般的なジャズ理論から遠ざかってしまいました。

 


 
プロフィール

武田 謙治

Author:武田 謙治
1962年生まれ 新潟県出身
小4よりクラシックギターを始める。
中学~高校時代はロック、フュージョンに傾倒。
慶應義塾大学入学と同時に、慶應ライトミュージックソサェティに所属し、ジャズの演奏を始める。
卒業後は、働きながら音楽活動を継続し、ジャズギタリスト布川俊樹氏に師事し、各種コンテストにも参加。
【主な受賞歴】
浅草JAZZコンテスト グランプリ受賞
吉祥寺JAZZコンテスト グランプリ受賞
横浜JAZZプロムナード '94 コンペティショングランプリ受賞 横浜市民賞受賞
キングレコード「日本ジャズ維新塾」 グランプリ受賞 岡安芳明賞受賞
 
1990年代は精力的に活動をしていたが、2000年に入り、十数年の間活動休止。2014年夏より活動を再開。現在は、都内を中心に、「日本一ギターのうまいサラリーマン」を目標にライブ活動中。


【ギター教えます】
 僕は有名ミュージシャンではないですが、ずっと独学でやってきて「ジャズのアドリブが全くできない」とか「そこそこ弾けるようにはなったが、なんかジャズっぽくないなー」など、自分のギター・プレイに不満な方や伸び悩んでいる方の気持ちは一番わかっているつもりですし、そんな方達の手助けができるかなーと感じています。また、このブログで連載している「Pat Martino奏法研究」や「ジャズギター裏口入学」等について「もっと詳しく教えてほしい!」とか「一週間に一回ペースの小出しでなく、時間をかけてじっくり教えてほしい」みたいな人にも力になれるかな?と思ってます。

 東京都杉並区に住んでいますので、通える方は僕の自宅、遠方の方や通うのは大変という方に「Skype」で教えています。レッスン頻度は教わる皆様に合わせて決めています。

 興味のある方はメールやメッセージ、もしくはブログのコメント送信等どんなやり方でも良いのでご連絡くだされば詳細をお伝えいたします。

 それではお待ちしています!!

Mail : rymk.takeda@gmail.com

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